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旅行・地域

桜の風景を歩く

昨日は四ツ谷まで用事があったので、お出かけして来ました。
桜の季節はどこに行っても混むから、という理由で都内の桜の名所は、見た記憶がありません^^;


四ツ谷駅前でこの風景。中央線沿いに桜並木が続いていい雰囲気。
せっかくなので、一駅歩く事にしました。


ほぼ満開。桜のトンネルです。
四ツ谷から市ヶ谷かけて歩いたのですが、坂道曲がり道の多い事


曲がり道に坂道に、歩道は土手だし、都内とは思えない楽しい風景。


菜の花、電車、お堀、奥には桜
私が春生まれというのもありますが、この桜の季節が一番好きで一番幸せを感じます。

人でごった返してるイメージでしたが、都内にも穴場の場所があるんだなとニンマリ。
いい休日を過ごしました

買って応援 食べて応援



先日、東京駅のコンビニで熊本のお菓子を見つけました。
黒糖ドーナツ棒。最近出たお菓子ですが黒糖の甘みが大好きです。
私の故郷熊本が震度7の地震に襲われてまもなく1年です。
私の住む千葉から実家までは移動だけで1日かかります。
地元に直接お金を落としたいけど、なかなかできない。
じゃあどうしよう? 熊本産の物産を見つけて積極的に買う。これしかない。
そう思い、銀座のアンテナショップで買い物をしたり、熊本の野菜や果物がスーパーに並んでいたら必ず買うようにしました。



最近見つけたのはこのガリガリくん
「九州みかん味」で売り上げの一部が熊本地震の義援金になります。デザインにもくまモンが入ってます。

しばらくはまた実家に帰れないのですが、熊本の復興の為に、少しづつお金を落として応援していきたいです

千葉県立房総のむら



今日は千葉県立房総のむらに行ってきました
江戸時代の街並みを再現したり移築して、一部はテレビドラマのロケにも使われているそうです。


江戸時代の名主農家の屋敷です。
懐かしい田舎の景色。
電柱一本なく、昔にタイムスリップしたかのようです。
でも私の目的は建物ではなく…


これこれ、古墳です。
房総のむら周辺は古墳が非常に密集した地域で、
「龍角寺古墳群」と言われています。
全部で100基以上あるので見て回るのが大変

円墳、方墳、前方後円墳とありますが、前方後円墳には
前方後円墳の形をすた看板があり、ちゃんと周囲と高さが書かれていて親切です。
登っちゃダメだし、全体図がわからないので、こういう看板はありがたい。



こちらは私がどうしても見たかった日本最大の方墳
「龍角寺岩屋古墳」(105号古墳)です。
一辺が78メートル。高さは13.2メートル。
しかも三段に築かれていますから、まるでピラミッドのようです。
方墳のまわりには周溝があり、説明板によると堤もあるそうなので
全体像はもっと大きいです。
こんな大きな方墳初めてみました。しかも千葉にあったなんて!!
なんでもこの龍角寺古墳群、全体のほんの少ししか発掘調査が進んでなく
この大きな岩屋古墳でも出土品がなく謎だらけ。



中世近世にも信仰や言い伝えがいろいろあったようで
古墳の周りには庚申塔(文久元年だったので1861年)や青面金剛像、不動明王とおもわれる石像がありました。

全部見切れなかったのと、このあたりにはまだ古墳群があるようなので
またチャレンジしたいと思います。

郵便ポストいろいろ

先日、家人と知人と三人で「双子ポスト」(郵便ポストが二つ並べておいてある)を見つけまして
「そういえば、珍しいポストの画像がいくつかあったなー」といろいろ見つけてきたので
今日はおもしろポストを紹介します。




千葉駅前の双子ポスト。
郵便物が大量に出る場所では、このようにポストが二つ設置してあります。
千葉駅には、この反対側にも双子ポストがもう一か所あるので、
千葉駅前ではかなりの郵便物が投かんされてるものと思われます。





こちらは東京駅構内にある駅舎型ポスト。
左側に投かんすると、東京中央郵便局の風景印を押してくれます。
観光客向けのポストと考えていいでしょう。
風景印を希望しない郵便物は、すべて右側の投函口に入れるという
他のポストとはちょっと違う仕組みになっています。




目白の「切手博物館」前にある「まことちゃんポスト」
目に飛び込んでくるインパクトはすごいです。
「ここに入れて大丈夫なのか」という不安がわき上がるくらいです。
デザインは楳図かずおさん。
博物館の開館20周年を記念して設置されたポストです。
もちろん、郵便局の人が定期的に収集にきてますのでご安心ください。




こちらの三角屋根のポストは、銀座「伊東屋」の2階にある店内ポスト。
ポストの裏にはがきや手紙セット、レジでは切手も販売されています。
手紙を書くスペースも用意してあるので、伊東屋さんで一筆したためてすぐ投かんできるという
便利ポストです。




日本で一番日の出が早い千葉県銚子市の犬吠埼灯台。
その足元にある「白いポスト」です。
生まれて初めて白いポストをみました。
投かんオッケーです。


このように、私が見つけただけでもかなりの面白ポストがありましたので
日本全国、他にもまだまだ沢山の珍しいポストがあると思われます。
普段通りすぎるポスト、なんとなく手紙類を投函するポストですが
いろいろな表情があるので、ちょっと視点を変えると楽しくなりますよ。

【おまけ】



熊本の九州郵政局前にあったので撮影、歴代の丸型ポストだそうです。

富津の古墳をめぐる

先週の土曜日、富津市までお出かけしました。
先日きいた加曾利貝塚のシンポジウムできいたことを確かめたかったのと、
家人が「富津にはすごい古墳群があるぞ」と教えてくれたからです。


上の地図、黄色い星マークのついたところが自分の足でみてまわった古墳です。
国指定の内裏塚古墳を中心にまわってみました。
近距離にたくさんの古墳が密集しているのがわかります。
実は、この他にも富津にはたくさんの古墳が残っていて、
今回見たのは現存する古墳のうち三分の一ぐらいです。
総称して「内裏塚古墳群」呼ばれています。




古墳といっても、大きいものから小さいものまでいろいろありますが、
富津の古墳は大きいです。前方後円墳なんて「ただの山」にしかみえないです。
一応古塚古墳を遠くから撮影してみましたが、こんもりとした山というか森というか
たとえるなら「トトロの森」でしょうか^^;;

富津の古墳群は生活の中に古墳が存在していて「観光地化」されていません。
中には大きなお屋敷の中に古墳があり「見学不可」と書かれた看板もありました。
悲しかったのは、上記の写真の古塚古墳。
すぐ近くまで行きましたら、なんと古墳のふもとに大型の粗大ゴミが積んでありました(涙)
これだけたくさんの古墳があるのに、大事にされてるものもあれば、
ゴミ置き場になってしまっているものもある。
複雑な気分になってしまいました。

とことこと歩きながら、国指定の内裏塚古墳をめざします。





登っていいのかしら、とみたら、明らかに人の歩いた道ができてます。
国指定の古墳なのに整備されず草ぼうぼう^^;;
私、生まれて初めて前方後円墳へ登ってみることにしました。



内裏塚古墳は千葉県内最大の前方後円墳で、長さは144メートルあります。
発掘は1906年におこなわれ、二つある石室から二体の人骨と鉄製の武器類が出土しました。
ただ明治の発掘調査のため、詳しい調査の内容は不明です。
出土品は国立歴史民族博物館に収蔵されているそうなので、ぜひみたいところです。
発掘を記念して、後円墳の部分に石碑が建てられていました。
でも、本来なら作られた当時の形を残すためにも、石碑建てるのはどうなんだろう、と思ったり・・・。
発掘調査はもちろん大事ですが、後世に大切な史跡を残すためには、
もっと整備し「千葉にもこんな立派な前方後円墳」がたくさんあるんだよ。大阪と奈良だけじゃないんだよー」と
アピールするのも大切だと思うのです。
市原市の学芸員さんが「博物館が作れなくて」とおっしゃってたので、富津のの財政は
もっと厳しいのかもしれません。
でも、地方活性化のためには古墳や文化財にも予算を出していかないと魅力のある街づくりはできないし
人も集まらない。文化財も整備しなければ朽ちていくだけですから守らないといけない。
大昔に作られたものを再生するのは現代の技術をもってしてもかなり難しいです。
古墳の上から富津の景色を眺めながら
「新しいものにお金を費やすのも必要だけど、古いものにも目をむけて大事にしないといけない」
と思った次第です。



千葉はいいところです。野菜や果物も多いし、千葉県の遺跡数はなんと全国三位です。
古代東海道の要衝として発達した上総地方の文化財。それを生かせる方法はないものか。
と、夕焼けに染まる富士山を見ながら思いました。

秋葉原〜湯島天神散歩

昨日は湯島の落語会のついでに秋葉原から歩いてみました。
本当はもっと早い時間に出てゆっくり歩きたかったのですが、朝からおなかの具合が珍しくよくなく、様子を見ながら出発したので、秋葉原についたのは夕方日没前。



万世橋から神田川沿いにてくてく歩くと鉄橋が見えます。
黄色いラインが入った総武線各停の電車が音を立てて通っていきます。
私この橋がずっと気になっていたのです。
「なんだか古そうな気がする」って。
帰宅して調べてみました。
「松住町架道橋」。なんと1932年、昭和7年の建築物でした!!
この橋を造ったのは東京石川島造船所(現IHI)。造船所が作ったのもびっくり。
当時この付近は路面電車が交差して非常に交通量が多かったため、交通に支障がないようにと
アーチ型の鉄橋をかけて総武線を延伸したそうです。
戦前の鉄橋がまだ現役で活躍してるってかっこいい!! メンテナンスも大変でしょうけど
これは残してほしいなと下からまじまじ見てしまいました。





さて、この鉄橋をあとにして、神田明神下交差点からからゆるい坂道を歩きます
途中に湯島聖堂もありますが、今回は素通り。
短い参道をぬけると見えてきました。神田明神。
今はこの神田に鎮座してらっしゃいますが、もともとは730年に創建され千代田区の大手町付近に
あった神社だそうです。その後徳川家康の江戸城築城、増築にともない二度移転し、その後
現在の神田に落ち着いたようです。
1月も下旬でしたが、本殿ではスーツ姿の会社関係者の人たちが大勢、新年の祈祷を
うけてらっしゃいました。




さて、神田明神の脇を出て、ここからは急な上り坂「清水坂」といいます。
本郷台地の先端というか、端のほうを登っている状態です。
途中に「実盛坂」というお能の「実盛」にちなんだ名前の坂がありますが、



こんな急階段。こわくて下れません^^;;





階段と坂道を上って登り続けて、やっと着きました湯島天神。
この日は「初天神」(今年最初の縁日)で、お店がでてるー!! と思いきや。




すでに日没をすぎ、お店はほとんどしまっていました・・・残念。
でもしっかりお参りをしてきました。
学問の神様ですから、私の再就職がうまく行きますように、と
もっとたくさんの知識を身につけられるようにお祈りしてきました。
かなうといいなー。神様には頼んだのだから、あとは自分の努力次第ですね^^;




さて、この初天神では、この日だけの「木鷽」(きうそ)というお守りが売られます。
「鷽替え神事」というもので、日ごろ知らず知らずについてしまう「嘘」を木彫りの鷽に託して、天神様のところで「本当のこころ」に変えていただくものだそうです。
生まれて初めて木鷽をみて買いましたが、世の中にはまだまだ知らない神事や行事があるんだろうなと
木鷽をみて思った次第です。

今日の記事はここまで。湯島天神での落語会の様子は次にまとめたいと思います

千葉妙見社から見る千葉氏と原氏

昨日は市民講座で千葉妙見社(千葉神社)のと千葉氏のお話しをききました。
千葉氏を知ったのは大学に入ってから。
鎌倉幕府の成立に大きくかかわった千葉常胤が最初でした。
この千葉常胤が現在の千葉県に関係あるんだろうなとはぼんやり思っていたのですが
昨年が千葉常胤がこの千葉市に町を開いてちょうど890年という記念の年というのを知り、
千葉一族について、どういう歴史があったのかますます知りたいと思いました。

まず、千葉氏と深いかかわりがある千葉神社、今は神社ですが
千葉氏がくる以前から妙見信仰があり、「金剛授寺」というお寺だったそうです。
その寺の中に稲荷大明神があったり、八幡様があったりと寺と神社が一体化していた
信仰施設だったそうで、寺と神社が一緒の敷地にあるなんて、日本ならではだなと妙に感心してしまいました^^;
一応「金剛授寺」ですからお寺の偉い座主という人がいるわけなのですが
これになる方は千葉一族の二男や三男がその職務についたそうです。
実際に千葉一族の家系図をみると、二男か三男が座主の職についています。
しかし、南北朝、室町期に入ると、一族内での抗争や千葉氏の流れをくむ原一族の台頭で
千葉氏は衰退していき、千葉氏の嫡流が途絶えます。
金剛授寺の座主も千葉一族からではなく、とうとう原氏の一門が座主につくことになるのです。

戦国末期、徳川家康が関東に入り、金剛授寺を参詣し寺領を安堵されたことで
江戸末期まで「北斗山金剛授寺尊光院」として発展してきたのですが
明治の神仏分離によって寺から「千葉神社」と名前を改めたのだそうです。

今はずいぶん小さな敷地になっているようですが、こんなに長い歴史と変遷を持った
神社とは知らず、今回の市民講座は衝撃でした。
行けるけど「また今度」で素通りしてきた千葉神社、今度千葉氏の館があった亥鼻付近もあわせて
探検してみようと思います。


初めての浅草演芸ホール



昨日は、以前からいってみたいと思っていた浅草演芸ホールで
今年の初笑いを楽しみました。
今回のトリはテレビですっかりおなじみの春風亭昇太師匠。
この時期は新年二の席といって、正月の顔見せ興行のようなものですから
出てくる人たちが多い多い。一人の持ち時間の短いので、
噺家さんが出てきたと思ったら、あっというまに次の方がでてきます。
浅草はほかの寄席にくらべて若い人が多いのかな? という女性の入りでしたが
途中漫才師のナイツがでてきまして黄色い歓声。
ナイツがお目当ての女性がずいぶんきていたようです。

トリの昇太師匠、年末年始から休みがないという話で
大みそかに出演した紅白歌合戦のエピソードを語ります。
そこから師匠お得意の新作落語。ストレスをためると体に悪いと
妻が旦那さんのためにあれこれとストレス解消法を試すのですが・・・という爆笑話。
あっという間に時間がきて、あっというまに楽屋口から出て次の目的地に
行ってしまわれました。
落語だけでなくテレビ、大河ドラマの撮影などスケジュールがつまっているのでしょう。
忙しい昇太師匠のストレス解消法はなんだろうなー、思った新春の落語でした。

初めての浅草寄席でしたが、演芸ホールは椅子が狭く、他の寄席のように
テーブルがあったり、荷物をひっかける場所がなかったり、ちょっと不便^^;;
でもステージが近いのがいいです。噺家さんたちの声がすぐそばできこえる臨場感がたまらないです。




落語のあとは、観音様へお参り、と思いましたら、日没過ぎて、本堂の扉が閉まっていました。
御本尊様にお目にかかれなかったのが残念でしたが、一月に浅草って風情があって
仲見世をみてまわり楽しい一日でした。
仲見世から見えたスカイツリー、きれいでした。またいきたいな~

司馬遼太郎『街道をゆく』



先日のトークライブ「歴史でおすすめの本は」と質問をいただいたので、
この『街道をゆく』を紹介しました。
歴史というより、紀行文といったほうが正しいのかもしれせんが、
司馬遼太郎さんが日本各地の街道、世界の国々を旅してまわりながら
歴史について、その町のエピソードについて、人物について深く深く掘り下げて書きあげている
素敵な作品です。
一冊で三冊分おいしい、といっても過言ではない本です。

この『街道がゆく』シリーズは、1971年に「週刊朝日」で連載が始まり
1996年2月に作者が急逝するまで続きました。
現在では朝日文庫から全42巻で出版されています。

私が好きなのは第5巻「モンゴル紀行」です。
このモンゴル紀行が書かれたのは1973年。ロシアがまたソビエト連邦時代。
冷戦の真っただ中でのモンゴル行きです。
今のように日本からの直行便はありません。
日本で唯一航路のある新潟空港からソビエトハバロフスク→イルクーツク(ここでビザが発行される)→モンゴル
という、今では信じられないようなルートでモンゴルへ入らなくてはならないのです。
タイトルは「モンゴル紀行」なのに本の3分の2はソビエト地域の話になっています(笑)

1973年の日本からモンゴルへの旅
2017年の日本からモンゴルの旅
およそ40年の間にソ連は崩壊し、そして日本の飛行機はもっと自由に世界を飛べるようになった。
このギャップを思い知ることができる。40年間の日本とソビエトの歴史がわかってしまうのです。

このシリーズは書かれた当時の地方の生活や歴史も知ることができる
民俗学的な側面も持っています。
「歴史、紀行」でひとくくりにはできない司馬遼太郎の知識の塊のような文章が
ギュッと詰まった良書です。

何故そこに建てられたのか

新年あけましておめでとうございます。
年末年始は仕事の追いこみで、非常に疲れましたが
1/2に休みが取れて、近所の土地神様にお参りをしました。



この神社小さいですが、古くから地元の人に大切にされ、昭和40年代までは
お神楽の神事も行われていたそうです。
最近は宅地化が進み、巨木や茂みが防犯上問題になり、残念ながら大きな木々は伐採されてしまいましたが
氏子さんたちがきちんと清掃整備され、今でも大切にされている立派な神社です。

ところで、皆さまは「この神社(寺、建物)はなんでここに建てられたのだろう」って考えたことありますか?
最近は土地の区画整理や災害などで、移転する寺社も少なくありませんが
神様や仏様がその場所に建てられるのには必ず理由があります。
たとえば、今回初もうでにいった神社、ここにはかなり古い時代から人が住んでいました。
近年の遺跡調査で、この神社一帯から貝塚や人の集落跡が発見されています。
そしてこの神社の隣には公園があるのですが、なんと



横穴式石室のある古墳が見つかっているのです。
地元の資料を調べてみると、一時期生活の気配がなく、墓域の時代もあったようですが
江戸時代になると、近辺の村から人がうつりすみ、同時に分祀された神社が
この場所に建てられます。それが今回の神社となるのです

全国にはたくさんの神社、有名なものから道端の祠のようなものまで、様々です。
建立の時代がわからない神社が多いとは思いますが、この季節
初もうでに行った際には、神社仏閣の「由来」について少しみてみると楽しいですよ。
なぜそこに建てられたか、誰がまつられているか、どんなエピソードがあったのか
ほんの少しでも「なぜ?」と疑問を持てば、そこから世界が広がること間違いなしです。

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    とこはるの家にやってきたまおとれん。 家に迎えた瞬間から2003年12月までの写真記録です。

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