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縄文時代の物流を考える

先日千葉市生涯学習センターで開催された
「加曾利貝塚シンポジウム」に参加してきました。
加曾利貝塚だけでなく、周辺にある市川や市原市の貝塚を例に講演がひらかれたのですが、
話題が進むにつれて貝塚というより、縄文時代の物流ルートがどうだったのかという流れになっていきました。

千葉県では縄文時代、矢じりや斧の材料となる石が極端にとれない地域でした。
それらの石材を入手するために、加曾利貝塚で「干し貝」を作って交換していたというのが
これまでの通説だったのですが、ここ数年干し貝加工説が違うのではないかと検証されているようです。
では、千葉では貴重だった石材と一体何を交換したのか、というのがこれからの課題のようですが
この石材を専門に研究してらっしゃる方のお話しをきくと、加曾利貝塚から出土する石。
遠くは日本海側の糸魚川周辺んから採取される石と成分が同じなんだそうです。
そして黒曜石に関しては、伊豆の神津島から運んできていたのだと。
陸路に関しては村から村へと運ぶことができたでしょう。
でも、海路は? 縄文時代の船といえば丸木舟ですが、重い石材をのせて陸地へ運べるだけの船はどういったものだったのか? これが不思議でなりません。
黒潮に乗って北上するとか、夜は星の動きを読みながら方角を決めていたとかなのかなぁ、と
考えられるのはこれかなあ。

今回初めて知って驚いたのは、加曾利貝塚の発掘調査はまだ7パーセントしか進んでないそうです。
7パーセント発掘してすごいのが出たのに、残り93パーセント発掘調査できたら、何がでてくるのだと
嬉しいような怖いようなワクワク感です。

加曾利貝塚は国指定の特別史跡指定を目指して現在運動中です。
ぜひとも発掘を再開して、物流にかぎらず、もっと新しいことがわかればいいな思います。

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