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2017年3月

「嫌い」より「好き」を増やす

生まれて四十数年。
今までいろんな人に出会いました。
理由は知らないけど、私をいじめる人。
仕事の地位が高いからといってしきりに嫌味を言う人。
何か仕事の失敗を探そうとして、私をやたら監視する人。
もうかるよとあやしい話を持ってくる人。
「世の中いろんな人がいるもんだなぁ」と最近しみじみ考えていました。

昔は「受けて立つわー!!」と
売られたケンカは買ってましたが、最近買うのをやめました。
買ってうだうだ言いあいしてる時間がもったいない。無駄。
それよりも「この人あやしい」「この人嫌い」と思ったら離れることにしました。
離れてもしつこくくっついてくる人もいましたが、徹底して口をききませんでした。
それでも「嫌い」という人はどうしてもいる。
考えないためにはどうするか。

「好きな人をたくさん作る」です。

大好きな家族だったり友人だったり頼りにしてる知人だったり。
いろんな人と会って話をしたり、連絡をとりあったり。
そうしていると嫌いな人のことを考えなくなります。
考えてる余裕なんてないのです。
もう楽しいこと、先のことしか考えません。

生きている限り、この先もいろんな人と出会うでしょう。
でも「嫌い」より「好き」を増やしたいです。
嫌いを増やしてマイナス要因を作るより
好きでいっぱいにして、残りの人生楽しくのびのび生きていきたい。
あとどれくらい私は生きられるのかわからないけど・・・
好きな仕事して、趣味に楽しく生きて、みんなと笑いあって
「幸せだった」ってずっと思える人生にしたいのです。


全ての人に感謝する日



3/25、今年も無事に40いくつの誕生日を迎える事が出来ました。

一時期自分のことが嫌いで「誕生日なんて来なければいい」などと思ってた時期もありましたが、
歳をとれば取るほど、誕生日が楽しくなって来て仕方がないです^^;

この世に産んでくれた両親には一番感謝しているし
毎年毎年「誕生日おめでとう」と言って支えてくれる家人にも本当に感謝です。
そして沢山の友人、SNSで知り合った人達、
「沢山の「おめでとう」をありがとうございます。
私は幸せ者だと思います。
今とてもワクワクしています。
4月からいろんな「チャレンジ」を始めます。
歳を取っても何かしらの挑戦はできるんだって、
自分で実感しているところです。
天然でおっちょこちょいな私だけど、体調管理をしっかりして
これから新しいチャレンジに向かっていきます
次の誕生日が又楽しく過ごせるように、前を向いて進んでいきます。

柳亭小燕枝師匠の会 3/22



二か月に一度のお楽しみ。
私の大好きな柳亭小燕枝師匠の落語会に行ってきました。

先代小さん師匠の思い出話から始まり
そしてその小さん師匠から唯一教えていただいたという
「道灌」が始まりました。
ちょうど調べ物で大田道灌について調べていたところだったので
このタイミングにはびっくり。
「七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだに なきぞ悲しき」
この短歌の響きがとても好きな上に、小燕枝師匠の声で読まれると
しみじみとききいってしまいます。
オチはこの短歌がかかわっているのもまた楽しいですよ^^

「明烏」
今年十九になるという時次郎、本ばかり読むかたぶつ。
あまりにもかたすぎると心配した親父さんが、友人二人に頼み込み
息子をお稲荷さんへ行くとだまして吉原につれていくお話し。
「息子を吉原につれてってくれ」って頼み込む親父さん、
今なら考えられないお話しですが、江戸で吉原へ行くってのは
その当時の男性のステータスだったんだろうなと思います。
いやがる時次郎さんのさめざめとした表情。
あの手この手でお店で宴会を始める悪友二人。
この表情の違いが小燕枝師匠さすが面白い。
また朝を迎えて、甘納豆を食べながら若旦那を起こしにいくってシーンが面白くて
小燕枝師匠、美味しそうに「甘納豆食べてる」ようにみえるのがすごい!!
帰りに和菓子屋あいてたら甘納豆探していたかもしれません^^;;

初めて小燕師匠の「長短」をみたときも「餅菓子食べたいなー」と思い
それから「うどん食べたい」「そば食べたい」と食べ物から頭が離れません。
小燕枝師匠は食べるときの表情が実においしそう。
本当にうどんをすすっているかのように見えて空腹感が増すのでしょう。
師匠の芸には感服です。

中入り後は「百年目」
一番番頭治兵衛さん、普段は頭がとってもかたくて下の者にこまごまと小言をいうまじめな人。
でも、この日はちょっと違ってて、たいこもちに芸者さんたちをつれて
向島へ花見へ行こうと、こっそり屋形船を出します。
最初は「誰かに見られたらいけない」と船の窓をしめきって宴会を始めますが
お酒の酔いがまわって船の窓をあけるわ、土手に上がって扇子で顔を隠して
鬼ごっこまで始める始末。
そこに現れたのは、店の大旦那。
なんとこの治兵衛さんと大旦那がばったりと顔を合わせてしまい・・・。
という春にぴったりのお話し。
小燕枝師匠が大旦那様やえらい先生を演じると、しみじみとききいって
ぐっと心にくるものがあります。
いろんな経験をつんできての言葉の重みもあるのでしょう。
とても素敵な「百年目」でした。

次回は5/17だそうです。行けるといいな。行きたいなー。


買って応援 食べて応援



先日、東京駅のコンビニで熊本のお菓子を見つけました。
黒糖ドーナツ棒。最近出たお菓子ですが黒糖の甘みが大好きです。
私の故郷熊本が震度7の地震に襲われてまもなく1年です。
私の住む千葉から実家までは移動だけで1日かかります。
地元に直接お金を落としたいけど、なかなかできない。
じゃあどうしよう? 熊本産の物産を見つけて積極的に買う。これしかない。
そう思い、銀座のアンテナショップで買い物をしたり、熊本の野菜や果物がスーパーに並んでいたら必ず買うようにしました。



最近見つけたのはこのガリガリくん
「九州みかん味」で売り上げの一部が熊本地震の義援金になります。デザインにもくまモンが入ってます。

しばらくはまた実家に帰れないのですが、熊本の復興の為に、少しづつお金を落として応援していきたいです

千葉県立房総のむら



今日は千葉県立房総のむらに行ってきました
江戸時代の街並みを再現したり移築して、一部はテレビドラマのロケにも使われているそうです。


江戸時代の名主農家の屋敷です。
懐かしい田舎の景色。
電柱一本なく、昔にタイムスリップしたかのようです。
でも私の目的は建物ではなく…


これこれ、古墳です。
房総のむら周辺は古墳が非常に密集した地域で、
「龍角寺古墳群」と言われています。
全部で100基以上あるので見て回るのが大変

円墳、方墳、前方後円墳とありますが、前方後円墳には
前方後円墳の形をすた看板があり、ちゃんと周囲と高さが書かれていて親切です。
登っちゃダメだし、全体図がわからないので、こういう看板はありがたい。



こちらは私がどうしても見たかった日本最大の方墳
「龍角寺岩屋古墳」(105号古墳)です。
一辺が78メートル。高さは13.2メートル。
しかも三段に築かれていますから、まるでピラミッドのようです。
方墳のまわりには周溝があり、説明板によると堤もあるそうなので
全体像はもっと大きいです。
こんな大きな方墳初めてみました。しかも千葉にあったなんて!!
なんでもこの龍角寺古墳群、全体のほんの少ししか発掘調査が進んでなく
この大きな岩屋古墳でも出土品がなく謎だらけ。



中世近世にも信仰や言い伝えがいろいろあったようで
古墳の周りには庚申塔(文久元年だったので1861年)や青面金剛像、不動明王とおもわれる石像がありました。

全部見切れなかったのと、このあたりにはまだ古墳群があるようなので
またチャレンジしたいと思います。

柳家ろべえの稽古風景 3/17



昨日は、久しぶりに落語協会2階でおこなわれた
「柳家ろべえの稽古風景」に行ってきました。

今月下旬には「柳家小八」として真打昇進されるろべえさん。
ろべえさんとしての会はこれが最後になります。
小さな会場にたくさんの人たちが集まっていて
始まる前から「小八師匠」になるろべえさんを楽しみに待ってるような雰囲気でした。

「チヤハフル」(改作)
ききはじめたころは「ちはやふる?」と思ってきいてましたら
「ちはやふる」をアレンジした新作!!
ろべえさんは古典落語をされると思い込んでいたので、
この落語にはびっくり&大笑い
百人一首で有名な
「ちやはふる かみよもきかず 龍田川 からくれないに 水くくるとは」
この解釈がろべえさんの手にかかると……。
現代の物理も勉強できて楽しいお話しです^^

「青菜」
この季節に青菜!? と思いましたが、稽古風景だから
どんな話もありだよねってじっくりききいりました。
きいていると、お酒の飲めない私でも「なおし」ってどんな味がするのかな?
鯉のあらい食べたいな、青菜にたっぷりかつおぶしかけて食べたいなって
食欲をそそられるお話し。
そして何より、旦那さまと奥さまのやりとりが素敵。
「とっさのかくし言葉」いいなぁ使いたいなぁ。
なんて思いますが、私はきっと植木屋の奥さんタイプだわ、と
オチで思うのでした^^;

まもなく真打披露興行がはじまります。
ろべえさん改め小八師匠、どうぞ体に気をつけながら
長い興行期間をがんばっていただきたいと思います。
もちろん私も見に行きますからねっ!!

郵便ポストいろいろ

先日、家人と知人と三人で「双子ポスト」(郵便ポストが二つ並べておいてある)を見つけまして
「そういえば、珍しいポストの画像がいくつかあったなー」といろいろ見つけてきたので
今日はおもしろポストを紹介します。




千葉駅前の双子ポスト。
郵便物が大量に出る場所では、このようにポストが二つ設置してあります。
千葉駅には、この反対側にも双子ポストがもう一か所あるので、
千葉駅前ではかなりの郵便物が投かんされてるものと思われます。





こちらは東京駅構内にある駅舎型ポスト。
左側に投かんすると、東京中央郵便局の風景印を押してくれます。
観光客向けのポストと考えていいでしょう。
風景印を希望しない郵便物は、すべて右側の投函口に入れるという
他のポストとはちょっと違う仕組みになっています。




目白の「切手博物館」前にある「まことちゃんポスト」
目に飛び込んでくるインパクトはすごいです。
「ここに入れて大丈夫なのか」という不安がわき上がるくらいです。
デザインは楳図かずおさん。
博物館の開館20周年を記念して設置されたポストです。
もちろん、郵便局の人が定期的に収集にきてますのでご安心ください。




こちらの三角屋根のポストは、銀座「伊東屋」の2階にある店内ポスト。
ポストの裏にはがきや手紙セット、レジでは切手も販売されています。
手紙を書くスペースも用意してあるので、伊東屋さんで一筆したためてすぐ投かんできるという
便利ポストです。




日本で一番日の出が早い千葉県銚子市の犬吠埼灯台。
その足元にある「白いポスト」です。
生まれて初めて白いポストをみました。
投かんオッケーです。


このように、私が見つけただけでもかなりの面白ポストがありましたので
日本全国、他にもまだまだ沢山の珍しいポストがあると思われます。
普段通りすぎるポスト、なんとなく手紙類を投函するポストですが
いろいろな表情があるので、ちょっと視点を変えると楽しくなりますよ。

【おまけ】



熊本の九州郵政局前にあったので撮影、歴代の丸型ポストだそうです。

広く浅く 狭く深く

私が大学四年のときに就職を決めたころ、
世間は超売り手市場の時代でした。
どこで調べたのかいろんな企業から電話がかかってきたり、
今では考えられないような大手企業からも「ぜひうちに」と電話がひっきりなしにかかってきました。
そんな時代に私が選んだ職業は「図書館司書」
地味、というか「おまえらしいなー」と友人から言われたものです。

採用が決まったときと、卒業式の日。
恩師は同じことを二度いいました。

「知識は広く浅く持て。でもここだけは絶対に負けないというものを一つ作れ」

若いころは本のジャンルを覚えるのに必死で、新刊情報やレファレンスに追いかけられてて
ほんとに「広く浅く」しか知識がなかったように思います。
今も大した知識があるわけではないですが、年齢と経験を積み重ねて
ほんの少しだけ「これは得意」というものが出てきました。
「ここだけは絶対に負けないものを一つ作れ」というのは
歳をとってからできるんじゃないか、感じています。

「ここだけは誰よりも負けない、私得意よ」

そんな分野をこれから「狭く深く」どんどんと掘り下げていこうと思います

モチベーションが上がるとアイデアがどんどん浮かぶ

昨日、とてもいいことがありました。
まだ内緒なんですけど、とっても嬉しい出来事でした♪

それまでの私はいろいろあって、どうにも気分がのらないなと思っていたのですが
嬉しい出来事があってから、モチベーションが一気に回復してあがるあがる。
不思議なものでモチベーションが高いと、「これいいかも」というアイデアが
次々にわき出てきてきますね。
急いでメモに書き留めないと追いつかないというくらい「あれもこれも」とやりたいこと
調べたいこと、行きたいところが出てきます。

常に、は難しいかもしれませんが「ポジティブ思考でいること」「モチベーションを高い位置に持ってくること」は
とても大事なことだと思っています。
あとほぼ同じかそれより高いモチベーションの人たちといることも大事。
気がつくことがたくさんあるし、さらに気持ちを上げてくれます。

この状態を維持して大事なイベントにまで持っていきたいですねっ

房総半島の歴史を考える

富津市の古墳めぐりをした帰り、富津岬に寄りました



日没前でしたので、夕日がきれいでした。
映っているのは富津岬展望台。明治百年記念展望台が正式名称だそうです。

実はここを訪れたのにもわけがあります。
またまた市民講座の話題になりますが、
縄文時代は、黒潮に乗って打ち上げられた珍しい貝が物々交換の材料として遠くは北海道まで流通し、
古代では「古代東海道」として船で房総半島に上陸し東北まで北上するという重要な道が通っていました。
私の中には「本当に珍しい貝や石は海岸に打ち上げられるのだろうか」という疑問があり、
砂浜に打ち上げられた貝や石を見て回りました。
その結果がこちら↓



貝の種類には詳しくないので、なんともいえませんが、右側の大きな貝殻、
この地域ではまず見られないような大きな貝殻です。波の影響でかなり削られていたのが残念。
でも、花崗岩も打ち上がっていましたし(最近の人工物かもしれませんが)、
輕石もかなりの数がありましたので、
黒潮に乗って南のほうから珍しい石がやってくるのはわかりました。



もう一つの疑問は「三浦半島」です。
1180年治承・寿永の乱がおき、源頼朝は平家の軍に負けて敗走します。
この時頼朝は三浦半島から房総半島にわたり、千葉常胤のもとに助けを求めます。
縄文時代より船の技術は発達してるけど、本当に頼朝は房総半島に渡ったのだろうか?
それを自分の目で確かめたかったのです。
画像では見にくいかもしれませんが、うっすらと三浦半島が見えます。
天気がよければもっとはっきり見えたでしょう。当時の人たちは今よりももっと視力がよかったはずですから
三浦半島から房総半島をきれいに見たはずです。
この日は波がずいぶん荒れていましたが、天候や時間帯を選べば渡るのは可能だと感じました。

まだまだ未知の部分がおおい時代が多いですが
本で読んだり、講座で学んだことを、実際に動いてその当時の人の気持ちになって感じてみる。
本を読むのとは、また違った経験ができます。体で感じるって大事です。

富津の古墳をめぐる

先週の土曜日、富津市までお出かけしました。
先日きいた加曾利貝塚のシンポジウムできいたことを確かめたかったのと、
家人が「富津にはすごい古墳群があるぞ」と教えてくれたからです。


上の地図、黄色い星マークのついたところが自分の足でみてまわった古墳です。
国指定の内裏塚古墳を中心にまわってみました。
近距離にたくさんの古墳が密集しているのがわかります。
実は、この他にも富津にはたくさんの古墳が残っていて、
今回見たのは現存する古墳のうち三分の一ぐらいです。
総称して「内裏塚古墳群」呼ばれています。




古墳といっても、大きいものから小さいものまでいろいろありますが、
富津の古墳は大きいです。前方後円墳なんて「ただの山」にしかみえないです。
一応古塚古墳を遠くから撮影してみましたが、こんもりとした山というか森というか
たとえるなら「トトロの森」でしょうか^^;;

富津の古墳群は生活の中に古墳が存在していて「観光地化」されていません。
中には大きなお屋敷の中に古墳があり「見学不可」と書かれた看板もありました。
悲しかったのは、上記の写真の古塚古墳。
すぐ近くまで行きましたら、なんと古墳のふもとに大型の粗大ゴミが積んでありました(涙)
これだけたくさんの古墳があるのに、大事にされてるものもあれば、
ゴミ置き場になってしまっているものもある。
複雑な気分になってしまいました。

とことこと歩きながら、国指定の内裏塚古墳をめざします。





登っていいのかしら、とみたら、明らかに人の歩いた道ができてます。
国指定の古墳なのに整備されず草ぼうぼう^^;;
私、生まれて初めて前方後円墳へ登ってみることにしました。



内裏塚古墳は千葉県内最大の前方後円墳で、長さは144メートルあります。
発掘は1906年におこなわれ、二つある石室から二体の人骨と鉄製の武器類が出土しました。
ただ明治の発掘調査のため、詳しい調査の内容は不明です。
出土品は国立歴史民族博物館に収蔵されているそうなので、ぜひみたいところです。
発掘を記念して、後円墳の部分に石碑が建てられていました。
でも、本来なら作られた当時の形を残すためにも、石碑建てるのはどうなんだろう、と思ったり・・・。
発掘調査はもちろん大事ですが、後世に大切な史跡を残すためには、
もっと整備し「千葉にもこんな立派な前方後円墳」がたくさんあるんだよ。大阪と奈良だけじゃないんだよー」と
アピールするのも大切だと思うのです。
市原市の学芸員さんが「博物館が作れなくて」とおっしゃってたので、富津のの財政は
もっと厳しいのかもしれません。
でも、地方活性化のためには古墳や文化財にも予算を出していかないと魅力のある街づくりはできないし
人も集まらない。文化財も整備しなければ朽ちていくだけですから守らないといけない。
大昔に作られたものを再生するのは現代の技術をもってしてもかなり難しいです。
古墳の上から富津の景色を眺めながら
「新しいものにお金を費やすのも必要だけど、古いものにも目をむけて大事にしないといけない」
と思った次第です。



千葉はいいところです。野菜や果物も多いし、千葉県の遺跡数はなんと全国三位です。
古代東海道の要衝として発達した上総地方の文化財。それを生かせる方法はないものか。
と、夕焼けに染まる富士山を見ながら思いました。

縄文時代の物流を考える

先日千葉市生涯学習センターで開催された
「加曾利貝塚シンポジウム」に参加してきました。
加曾利貝塚だけでなく、周辺にある市川や市原市の貝塚を例に講演がひらかれたのですが、
話題が進むにつれて貝塚というより、縄文時代の物流ルートがどうだったのかという流れになっていきました。

千葉県では縄文時代、矢じりや斧の材料となる石が極端にとれない地域でした。
それらの石材を入手するために、加曾利貝塚で「干し貝」を作って交換していたというのが
これまでの通説だったのですが、ここ数年干し貝加工説が違うのではないかと検証されているようです。
では、千葉では貴重だった石材と一体何を交換したのか、というのがこれからの課題のようですが
この石材を専門に研究してらっしゃる方のお話しをきくと、加曾利貝塚から出土する石。
遠くは日本海側の糸魚川周辺んから採取される石と成分が同じなんだそうです。
そして黒曜石に関しては、伊豆の神津島から運んできていたのだと。
陸路に関しては村から村へと運ぶことができたでしょう。
でも、海路は? 縄文時代の船といえば丸木舟ですが、重い石材をのせて陸地へ運べるだけの船はどういったものだったのか? これが不思議でなりません。
黒潮に乗って北上するとか、夜は星の動きを読みながら方角を決めていたとかなのかなぁ、と
考えられるのはこれかなあ。

今回初めて知って驚いたのは、加曾利貝塚の発掘調査はまだ7パーセントしか進んでないそうです。
7パーセント発掘してすごいのが出たのに、残り93パーセント発掘調査できたら、何がでてくるのだと
嬉しいような怖いようなワクワク感です。

加曾利貝塚は国指定の特別史跡指定を目指して現在運動中です。
ぜひとも発掘を再開して、物流にかぎらず、もっと新しいことがわかればいいな思います。

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    とこはるの家にやってきたまおとれん。 家に迎えた瞬間から2003年12月までの写真記録です。

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