千葉妙見社から見る千葉氏と原氏
昨日は市民講座で千葉妙見社(千葉神社)のと千葉氏のお話しをききました。
千葉氏を知ったのは大学に入ってから。
鎌倉幕府の成立に大きくかかわった千葉常胤が最初でした。
この千葉常胤が現在の千葉県に関係あるんだろうなとはぼんやり思っていたのですが
昨年が千葉常胤がこの千葉市に町を開いてちょうど890年という記念の年というのを知り、
千葉一族について、どういう歴史があったのかますます知りたいと思いました。
まず、千葉氏と深いかかわりがある千葉神社、今は神社ですが
千葉氏がくる以前から妙見信仰があり、「金剛授寺」というお寺だったそうです。
その寺の中に稲荷大明神があったり、八幡様があったりと寺と神社が一体化していた
信仰施設だったそうで、寺と神社が一緒の敷地にあるなんて、日本ならではだなと妙に感心してしまいました^^;
一応「金剛授寺」ですからお寺の偉い座主という人がいるわけなのですが
これになる方は千葉一族の二男や三男がその職務についたそうです。
実際に千葉一族の家系図をみると、二男か三男が座主の職についています。
しかし、南北朝、室町期に入ると、一族内での抗争や千葉氏の流れをくむ原一族の台頭で
千葉氏は衰退していき、千葉氏の嫡流が途絶えます。
金剛授寺の座主も千葉一族からではなく、とうとう原氏の一門が座主につくことになるのです。
戦国末期、徳川家康が関東に入り、金剛授寺を参詣し寺領を安堵されたことで
江戸末期まで「北斗山金剛授寺尊光院」として発展してきたのですが
明治の神仏分離によって寺から「千葉神社」と名前を改めたのだそうです。
今はずいぶん小さな敷地になっているようですが、こんなに長い歴史と変遷を持った
神社とは知らず、今回の市民講座は衝撃でした。
行けるけど「また今度」で素通りしてきた千葉神社、今度千葉氏の館があった亥鼻付近もあわせて
探検してみようと思います。
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