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2017年1月

視点が違うと面白い

昨日は千葉市生涯学習センターで開催された「千葉市遺跡発表会」に参加してきました。
昨年千葉市内で発掘された遺跡の中から、注目される三つの遺跡について説明をききました。

三人の先生の発表をききながら、私はメモしたりたくさんの疑問と格闘していました。
頭の中は「なぜ?」だらけでした。
ところがこの日、私は家人と一緒に発表会をきいていたのですが、帰宅してからきいた家人の感想はシンプルでした。

「技術革新が人の生活を豊かにする」と。

五世紀から六世紀にかけて、大陸から新しい技術が伝来しました。
「製鉄技術」「須恵器」「馬」、この三つです。
「製鉄技術」がきたことで、これまで木製の農具から鉄製の農機具が誕生しました。
「須恵器」の登場は、野焼きで作っていた土器が窯焼きで大量に規格化されて作られたことを意味します。
「馬」の伝来は、それまで徒歩しかなかった陸の移動手段を馬を使って速く移動できることになります。
この発表をされた先生は「この三つのおかげで、農作物の生産率が上がり効率化され、この時代から千葉の遺跡には人が増え、住居跡が爆発的に増えたのだろう」と推測されていました。

家人の職業は技術屋です。普段はパソコンやサーバーと格闘しながら仕事をしているようです。
それで家人はITの技術革新と大陸の技術伝来を重ねて話をきいていたのかなと思います。

私は歴史をずっと勉強していましたから、様々な歴史の出来事と比べたり、地域史を思い出しながら発表会について歴史的な感想を出しますが、
職業が違う人が歴史の話をきくと、こうもきくところが違うのかと面白かったです。
私はまだまだ視野が狭いなあ、もっと現代と結び付けて歴史を探求するというのも考えないといけないなと思った次第です。

初天神に小燕枝師匠の「初天神」をきく

前記事では湯島天神まで散歩してお参りしましたが、
この日の目的は、その湯島天神でおこなわれる柳亭小燕枝師匠の落語会でした。
昨年の落語会から「初天神をやりましょう」とおっしゃってたのでとても楽しみにしていました。
が、始まってすぐに、師匠のお声が小さい感じ。
なんと21日に急性胃腸炎になってしまい、ずっと寝ていらしたとのこと!
この日も具合がすぐれず夕方ぎりぎりまで寝ていたときいて、少し心配になりました。
それでも、最初の「初天神」が始まると、いつもの素敵小燕枝師匠。
口が達者な子供金ぼうを上手に演じて、父親を困らせます。
この日が湯島の初天神で、参道の屋台を見てきたからか、
親子の歩いている姿が目にどんどん浮かびます。
今の屋台はずいぶん種類が変わったようですが、
昔の湯島にも屋台がたくさん並んで、飴や団子、凧を売ってたんだなと思うと
昔の時代にタイムスリップしたかのようでした。

次は「御慶」。富くじをあてた男が新年に着物を新調していろんな人に面白おかしく挨拶してまわるお話し。
この落語に出てくる「富くじ」。今でいう年末ジャンボ宝くじのようなものです。
江戸時代は湯島天神、谷中の感応寺、目黒の竜泉寺が江戸の三富として、さかんに富くじが行われていたそうです。
このお話もまた湯島天神に関するものなのでワクワク。
小燕枝師匠の語りがまたいいんです。占い師さんの淡々とした静かな口調にききいってしまいました。

休憩をはさんで最後のお楽しみはお酒の話から開始。
先代の小さん師匠のお酒のお話から小燕枝師匠の前座時代のお話しいろいろ出てきて
なにをするのかと思いきや「ためし酒」。やったー!! このお話し大好きなのです。
下働きの久造さん、大酒飲みでなんと一度に五升のお酒をのんでしまう。
その話をききつけたあるお店の主人が目の前で飲んでみろ、といって
本当に飲みきってしまうすごいお話し。
小燕枝師匠演じる久造、一升の杯を空けるたびに、どんどんと酔っ払いのしぐさが入っていきます。
口もうまく動かないようなしぐさや声がさすがベテラン。
最後の一升をあけるぞ、っというときは息をこらえるように真剣に師匠の動きを見つめてしまいました。

お体の具合がよくないとおっしゃっていた小燕枝師匠ですが、いざ始まると体調不良など
感じさせぬ芸達者ぷりで、プロの中のプロだと感動せずにはいられなかったです。
早くお元気になって、今年もまた師匠の落語をたくさんききにいきたいと思います。




そうそう、この日はお年玉ということで、師匠からいろんなプレゼントが出されました。
私、師匠にじゃんけんで勝ちまして、小燕枝師匠のてぬぐいをゲットしました~♪
一生の宝物です。使うのもったいないから額にいれて飾ろうかしら。

秋葉原〜湯島天神散歩

昨日は湯島の落語会のついでに秋葉原から歩いてみました。
本当はもっと早い時間に出てゆっくり歩きたかったのですが、朝からおなかの具合が珍しくよくなく、様子を見ながら出発したので、秋葉原についたのは夕方日没前。



万世橋から神田川沿いにてくてく歩くと鉄橋が見えます。
黄色いラインが入った総武線各停の電車が音を立てて通っていきます。
私この橋がずっと気になっていたのです。
「なんだか古そうな気がする」って。
帰宅して調べてみました。
「松住町架道橋」。なんと1932年、昭和7年の建築物でした!!
この橋を造ったのは東京石川島造船所(現IHI)。造船所が作ったのもびっくり。
当時この付近は路面電車が交差して非常に交通量が多かったため、交通に支障がないようにと
アーチ型の鉄橋をかけて総武線を延伸したそうです。
戦前の鉄橋がまだ現役で活躍してるってかっこいい!! メンテナンスも大変でしょうけど
これは残してほしいなと下からまじまじ見てしまいました。





さて、この鉄橋をあとにして、神田明神下交差点からからゆるい坂道を歩きます
途中に湯島聖堂もありますが、今回は素通り。
短い参道をぬけると見えてきました。神田明神。
今はこの神田に鎮座してらっしゃいますが、もともとは730年に創建され千代田区の大手町付近に
あった神社だそうです。その後徳川家康の江戸城築城、増築にともない二度移転し、その後
現在の神田に落ち着いたようです。
1月も下旬でしたが、本殿ではスーツ姿の会社関係者の人たちが大勢、新年の祈祷を
うけてらっしゃいました。




さて、神田明神の脇を出て、ここからは急な上り坂「清水坂」といいます。
本郷台地の先端というか、端のほうを登っている状態です。
途中に「実盛坂」というお能の「実盛」にちなんだ名前の坂がありますが、



こんな急階段。こわくて下れません^^;;





階段と坂道を上って登り続けて、やっと着きました湯島天神。
この日は「初天神」(今年最初の縁日)で、お店がでてるー!! と思いきや。




すでに日没をすぎ、お店はほとんどしまっていました・・・残念。
でもしっかりお参りをしてきました。
学問の神様ですから、私の再就職がうまく行きますように、と
もっとたくさんの知識を身につけられるようにお祈りしてきました。
かなうといいなー。神様には頼んだのだから、あとは自分の努力次第ですね^^;




さて、この初天神では、この日だけの「木鷽」(きうそ)というお守りが売られます。
「鷽替え神事」というもので、日ごろ知らず知らずについてしまう「嘘」を木彫りの鷽に託して、天神様のところで「本当のこころ」に変えていただくものだそうです。
生まれて初めて木鷽をみて買いましたが、世の中にはまだまだ知らない神事や行事があるんだろうなと
木鷽をみて思った次第です。

今日の記事はここまで。湯島天神での落語会の様子は次にまとめたいと思います

車だけど「うちの子」




家人が初めての車にBMWのMINIを購入してまもなく5年になります。
車検時期だけど、タイヤとバッテリーは確実に交換になるし、なんて考えていたところへ
「新車にしませんか」と営業さんからお話しがきたので、
二人でディーラーにいってお話しをききました。
最新型のMINIに試乗して、今よりも維持費やコストが安くなることもきいたけど
家人は「買い替える」とはいいませんでした。
営業さんは「買い替えるのに何が引っ掛かってるのですか?」と問いかけた時
家人はこういいました。

「今のMINIをもっと走らせてあげたいんです」と

家人の車ですから、買い替えるもよしこのまま乗るもよしと口をはさむつもりは
全くなかったのですが、この言葉をきいて「この人は、今のMINIを本当に好きなんだな」と
ちょっとだけ見直しました。

私は助手席専門ですが、今の車はとても好きです。
車には全く詳しくなかったのに、東京モーターショーで初めてMINIと出会って、「外車でもこんな小さな車を作るんだな」と思ったのと何よりかわいいデザインが魅力的で「いつか買えたらいいね」なんて言ってました。
私が骨折をしてから不自由な生活が続き、車を買うと決断したときも「軽を買うのかな」と思ったいたら
本気でMINIを買ってしまいびっくり^^;; 
こんなに高い車うちにはもったいないよ、と思いつつ、週末にせっせと車を掃除したり
楽しそうに運転している姿をみて「やっぱりこの車でよかったんだなー」と思いました。

「ただの鉄の塊」といってしまえばそれまでですが、
人というものは不思議なもので、「物」に愛着や愛情を持ちます。
高校時代、友人が通学に使う自転車に名前を付けてたことがあります。
なぜ人は、無機質なものにまで「愛」を持つのか?
それはやっぱり自分たちの日々の生活を支えてくれているものだからなのかなと思います。

人の感情は不思議なものです。
今回車を買い替えれは燃費もよくなるるし、維持費も安くなったはずなのに
「今のMINIをもっと走らせたい」
そういって、乗り続けることを決めました。
物に対しても「愛情」をかける。
家人の中でうちの車は「家族の一員」なんでしょうね。

そんなわけで、3月の車検ではタイヤ交換バッテリー交換、あともろもろあって
ものすごいお金が飛んで行きそうですが、
かわいい「うちの子」のために家人がんばって稼いでくださいね。
私は陰から見守っています(しれっと他人事)


他者を思う想像力

先日テレビで考古学担当の学芸員さんのお話しをきいていたのですが
「他者を思う想像力が必要」という言葉にはっとしました。

考古学とは文献のない時代、地中から出てくる遺跡、遺物をみながら
考察しなければなりません。
(戦国や江戸時代の遺構も発掘調査しますが、こちらは歴史考古学という分野になります)
たとえば古墳を発掘して骨が出てきたといます。
現代のように「○○家の墓」と墓碑があればいいのですが
日本の古墳に墓碑は存在しません。
未盗掘であれば、棺に納められている遺品や遺骨の状況から
どんな身分の人か、どういう人物かを考えることになります。
最近は技術の発達で骨のDNA鑑定やX線などで
埋葬者が男か女か子供か年寄りかという区別もつけられるようになってきました。
集められるるだけのデータから、専門家は「どういう人だったのか、古墳ができた当時この場所は
どういう状況下におかれた場所だったのか」と推測を重ねていきます。
ここで「他者を思う想像力」がないと考古学学芸員は成り立たないわけです。

そこで私は考えました。
「考古学学芸員でなくても他者を思う想像力がなければできない仕事はいろいろあるな」って。
世の中の情報が急速に流れて何もかもが忙しく流れてせわしない現代。
今まで仕事をしてきて「他者を思う想像力」がない人を何人も見てきました。
仕事がいやで押し付けて逃げ出す人、何もかも全部「あなたが悪い」といってしまう人
最初は私も不愉快で怒ったり悲しくなったりしたもんですが、
最近は「かわいそうな人なんだな」と相手にもしませんでした。
それこそ「他者を思う想像力」がない人だったのだろうと、今思います。

もしも、次に仕事ができるのなら
私は「他者を思う想像力」を持っている人たちと仕事をしたい。
相手のことを考えて「今こんな状況なんだな」と考えながら
仕事の配分を考えたりヘルプに入ったり、そんなふうにできたらいいなと思ってます。
そうやってお互いに助け合って仕事ができれば、いい方向に向かっていける気がするのです。
「夢物語だ」「甘いことを言ってる」と言われるかもしれませんが
私はこれを夢物語なんかにさせませんよ、絶対に♪


千葉妙見社から見る千葉氏と原氏

昨日は市民講座で千葉妙見社(千葉神社)のと千葉氏のお話しをききました。
千葉氏を知ったのは大学に入ってから。
鎌倉幕府の成立に大きくかかわった千葉常胤が最初でした。
この千葉常胤が現在の千葉県に関係あるんだろうなとはぼんやり思っていたのですが
昨年が千葉常胤がこの千葉市に町を開いてちょうど890年という記念の年というのを知り、
千葉一族について、どういう歴史があったのかますます知りたいと思いました。

まず、千葉氏と深いかかわりがある千葉神社、今は神社ですが
千葉氏がくる以前から妙見信仰があり、「金剛授寺」というお寺だったそうです。
その寺の中に稲荷大明神があったり、八幡様があったりと寺と神社が一体化していた
信仰施設だったそうで、寺と神社が一緒の敷地にあるなんて、日本ならではだなと妙に感心してしまいました^^;
一応「金剛授寺」ですからお寺の偉い座主という人がいるわけなのですが
これになる方は千葉一族の二男や三男がその職務についたそうです。
実際に千葉一族の家系図をみると、二男か三男が座主の職についています。
しかし、南北朝、室町期に入ると、一族内での抗争や千葉氏の流れをくむ原一族の台頭で
千葉氏は衰退していき、千葉氏の嫡流が途絶えます。
金剛授寺の座主も千葉一族からではなく、とうとう原氏の一門が座主につくことになるのです。

戦国末期、徳川家康が関東に入り、金剛授寺を参詣し寺領を安堵されたことで
江戸末期まで「北斗山金剛授寺尊光院」として発展してきたのですが
明治の神仏分離によって寺から「千葉神社」と名前を改めたのだそうです。

今はずいぶん小さな敷地になっているようですが、こんなに長い歴史と変遷を持った
神社とは知らず、今回の市民講座は衝撃でした。
行けるけど「また今度」で素通りしてきた千葉神社、今度千葉氏の館があった亥鼻付近もあわせて
探検してみようと思います。


アウトプットとインプット

先日トークライブを開催してから思うのですが
「アウトプットって大事だなぁ」と。

これまでの私はインプットをするばかりで
ため込んだいろんなことを外に出す機会がなく
いわゆる「頭でっかち」でした。
アウトプットすることで、頭の中の整理がついたし
小さな脳に少し隙間ができて、また新たに
知識を入れようという気持ちが強くなったし
何かちょっとでもいいから「自分の持ってる知識を外に出す
って必要なことだと感じています。

昨日きいたお話しで
実現したいことを「口にすること」
さらに「書くこと」も大事だと教わりました。
このブログに「書くこと」もアウトプットの一種。
知識を頭にいれて、頭の中で噛み砕いて
いかに外に出すか。
これも、今後の課題として、思考錯誤してみます。

初めての浅草演芸ホール



昨日は、以前からいってみたいと思っていた浅草演芸ホールで
今年の初笑いを楽しみました。
今回のトリはテレビですっかりおなじみの春風亭昇太師匠。
この時期は新年二の席といって、正月の顔見せ興行のようなものですから
出てくる人たちが多い多い。一人の持ち時間の短いので、
噺家さんが出てきたと思ったら、あっというまに次の方がでてきます。
浅草はほかの寄席にくらべて若い人が多いのかな? という女性の入りでしたが
途中漫才師のナイツがでてきまして黄色い歓声。
ナイツがお目当ての女性がずいぶんきていたようです。

トリの昇太師匠、年末年始から休みがないという話で
大みそかに出演した紅白歌合戦のエピソードを語ります。
そこから師匠お得意の新作落語。ストレスをためると体に悪いと
妻が旦那さんのためにあれこれとストレス解消法を試すのですが・・・という爆笑話。
あっという間に時間がきて、あっというまに楽屋口から出て次の目的地に
行ってしまわれました。
落語だけでなくテレビ、大河ドラマの撮影などスケジュールがつまっているのでしょう。
忙しい昇太師匠のストレス解消法はなんだろうなー、思った新春の落語でした。

初めての浅草寄席でしたが、演芸ホールは椅子が狭く、他の寄席のように
テーブルがあったり、荷物をひっかける場所がなかったり、ちょっと不便^^;;
でもステージが近いのがいいです。噺家さんたちの声がすぐそばできこえる臨場感がたまらないです。




落語のあとは、観音様へお参り、と思いましたら、日没過ぎて、本堂の扉が閉まっていました。
御本尊様にお目にかかれなかったのが残念でしたが、一月に浅草って風情があって
仲見世をみてまわり楽しい一日でした。
仲見世から見えたスカイツリー、きれいでした。またいきたいな~

たい焼きにも「天然」と「養殖」がある



以前から神田駅近くにあるたい焼き屋さんが気になっていたのですが、先日やっと買いに行く事が出来ました。
で、気がついたのですが、お店の壁に「天然鯛焼」の文字。
天然って本物の魚みたいだなぁとボソッと呟いたら、なんとお店のご主人が教えてくださいました。
天然鯛焼きとは、専門の焼型に生地とあんを入れて直火で一つ一つ手作りするもので
養殖鯛焼きとは大きな焼き機で効率よく何十匹も焼き上げていく製法のことだそうです。
たい焼きにも、そんな言い方があるとは知らず、面白い言葉を教えてもらってびっくりでした。
もちろん天然鯛焼きのお味は最高に美味しかったです。

鯛焼きは今川焼きから派生した、庶民には手の届かない鯛を形にして売り出したと諸説あるようですが、明治時代に作られていた事は間違いないようです。
現在では中身もクリーム、金時芋、チョコレート、と様々でいろんな味が楽しめるようになり、ますます庶民の味として人気のようです。
神田のたい焼き屋さんとても美味しかったので、またいく予定です。いくつ釣ってこようかな〜(笑)

「歩く好奇心のかたまり」かもしれない

ここ数カ月で「私は歩く好奇心のかたまりなんだ」と実感しています。
自己分析だったり、先日のトークライブでの経験から思ったことです。

「情報収集のやりかた」について尋ねられた時、うまく答えられませんでした。
「そういや私って意識して情報収集したことないかも」と・・・。

もともと好奇心旺盛で、好きなことに関しては自分で調べたりしてましたが
図書館司書になってからは、自分の興味のないことに関しても
無意識に動いて情報を探していました。
なぜかというと、レファレンスで思いもかけない質問をされるからです。
「どうしてこの地域ではこの農作物がよく栽培されるか?」
「絵本で表紙がこんなかんじ(漠然)なんだけど、タイトルわかりますか?」
「(あらすじ)こうなんだけど、この図書館にあるか?」
「昭和●年に首相がこんな発言してたんだけど、議事録ある?」
インターネットが普及する以前の図書館でしたから、窓口では対応できない
ありとあらゆる質問が私のところへやってきます。
この全ジャンルの質問にいかにすばやくこたえられるか
ということを自然に身につけるために、無意識に情報を集め
仕事が休みの日には大きな書店に一日いるか、突発日帰り旅行を敢行して情報を集めていたのでは、
と自己分析しています。

レファレンスというのは質問がアバウト、漠然としています。
「漠然としたものをはっきりさせたい」という思いから仕事をしていましたが
今ではそれが身についてしまって、それが趣味になってしまったのだろうかとも考えられます

今はどうやって情報収集をしているかというとネットが多いかなー、とも思いましたが
一番大きな情報源は「親しい友人」かもしれません。
私の友人はもうプロというくらいに、その道に詳しい人が何人かおりまして
メールのやり取りだったり、会話を続けているうちに情報が次々にこぼれてきます。
「自分が持っていない得技を持ってる人と話す」これは強力です。

みなさん、インターネットの世界も大事ですが、外に出て、何かに秀でた友達作りましょう。
視野が広がります。

「私はどうやって情報収集しているのか?」自分でもよくわからないので
今後の課題にしたいと思います


歴史はたえず変化する

今回も先日のトークライブの補足的なお話しです。

昔学校の授業でならった日本史、
人物の名前を覚えたり年号を覚えたりとしましたが、
現在日本史の新たな発見が増え、解釈もずいぶんと変わりました。



たとえば、この上の写真の「源頼朝」とされている肖像画
専門家の研究で「本物かどうかが疑われる」ということで
今この肖像画を紹介するときには「伝 源頼朝」となっています。
「頼朝の肖像画と伝えられているが真偽は定かではない」いうことです。

頼朝に関連して、昔は「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」で覚えたことと思いますが
現在の鎌倉時代の始まりは1185年となっています。1192年は確かに頼朝は征夷大将軍として
任命はされていますが、1185年には平家を滅ぼし、各地に守護地頭の設置を任じていて、
実権を握っている。このことから最近は1185年からが鎌倉時代と考えるのが定説のようです。

あとは日本最古の貨幣「和同開珎」は新たな発掘調査で「富本銭」という和同開珎より20年以上
古い貨幣が大量に発見され、現在では「富本銭」が日本最古の貨幣となっています。

このように、日本の歴史(世界史もだと思います)は、日々新しい発見があるたびに
これまで定説と考えられていたものが大きくかわることがあります。
歴史とは「こうだ」と一生決まっているものではなく、常に生き物のように動いている学問です。
今日も幕末の志士坂本竜馬の暗殺五日前の手紙が発見され、話題となっていました。
これからもどのような発見があるのか、またどのような定説が覆されるのか
注意して見守りたいと思います


司馬遼太郎『街道をゆく』



先日のトークライブ「歴史でおすすめの本は」と質問をいただいたので、
この『街道をゆく』を紹介しました。
歴史というより、紀行文といったほうが正しいのかもしれせんが、
司馬遼太郎さんが日本各地の街道、世界の国々を旅してまわりながら
歴史について、その町のエピソードについて、人物について深く深く掘り下げて書きあげている
素敵な作品です。
一冊で三冊分おいしい、といっても過言ではない本です。

この『街道がゆく』シリーズは、1971年に「週刊朝日」で連載が始まり
1996年2月に作者が急逝するまで続きました。
現在では朝日文庫から全42巻で出版されています。

私が好きなのは第5巻「モンゴル紀行」です。
このモンゴル紀行が書かれたのは1973年。ロシアがまたソビエト連邦時代。
冷戦の真っただ中でのモンゴル行きです。
今のように日本からの直行便はありません。
日本で唯一航路のある新潟空港からソビエトハバロフスク→イルクーツク(ここでビザが発行される)→モンゴル
という、今では信じられないようなルートでモンゴルへ入らなくてはならないのです。
タイトルは「モンゴル紀行」なのに本の3分の2はソビエト地域の話になっています(笑)

1973年の日本からモンゴルへの旅
2017年の日本からモンゴルの旅
およそ40年の間にソ連は崩壊し、そして日本の飛行機はもっと自由に世界を飛べるようになった。
このギャップを思い知ることができる。40年間の日本とソビエトの歴史がわかってしまうのです。

このシリーズは書かれた当時の地方の生活や歴史も知ることができる
民俗学的な側面も持っています。
「歴史、紀行」でひとくくりにはできない司馬遼太郎の知識の塊のような文章が
ギュッと詰まった良書です。

第1回トークライブ終了しました



昨夜からの激しい雨と風でどうなるかと心配しましたが、
午後は無事に晴れてイベント当日を迎えることができました。

質問は歴史についてや猫のこと、情報収集の仕方など多岐にわたり
うまく答えられたかは微妙ですが、二時間みっちり自分が思っていること考えていることについて
話をさせていただきました。
あれを言えばよかった。こんなたとえのほうがわかりやすかっただろうかと
反省点が多々浮かびますが、次回、第二回をまた開催することになり、
今度はもっと自分の知識をアウトプットできるようにしようと考えています。

参加いただきましてありがとうございました。またたくさんの応援や反応をいただき
感謝しております。
2017年、いいスタートがきれたと思っていきます。
今年はやりたいことを全速力でとばしてやっていきますので、今後ともよろしくお願いいたします

追記 : 質問でいい足りなかったなーと思うところは、今後のブログで書いていく予定です。

短期アルバイトを終えて

本日付で、12/21から始まった年末年始の短期アルバイトが
無事に終了しました。
大きな事業所で働いた感想は
「仕事は本当に大変で疲れたけど、とても楽しかった」です!!

規模が違えば仕事量も膨大。
時期的なものもあるでしょうが、ぐちぐちと文句をいう人もなく
みんな必死で仕事を回していました。
短期のアルバイトとはいえ、6年間別の支店で働いていたわけですから
自分なりに考えて仕事をしていました。
「経験のある私に何ができるか。担当の社員が動きやすくするには私はどうすればいいか」
初めてきた学生アルバイトさん、短期のアルバイトは初めてという人に
片っ端から声をかけて仕事の基本を教える。
立ち止まって手が止まっていたら「どうしたの?」「何か困ってる?」と必ず声をかける。
仕事の効率をよくするために、どうしてもわからないものは「不明」の場所を作ってまとめて置いてもらう。
そして私が難しいところに入って、「不明」のボックスから集めた仕事をサクサク片付ける。
担当社員が席を離れるときは、何時にどう動くかきいて、私が仕事をまわす。

同じ短期なのに「生意気だ」という人もいたかもしれません。
でも誰かが動かないと仕事はまわらない。担当社員一人の負担が大きすぎますから。
私は私が考えていたことを実践できたと思っています。

それから思ったことを2点書いておきます。

①「去年はどうしてたっけ?」をあちこちできいたので、簡単でいいから「年末年始対策マニュアル」を
いいかげんに作ったらどうか
②研修といっても交通安全や最低限のマナーの講習だけで「実際にどんな仕事をするか」の研修が一つもなかった(これはほとんどのバイトさんたちが不安に思っていた)
②の研修についてですが、本当にみんな「初日きて何をするばいいんだ」という大きな不安をかかえて
呆然と仕事の前にたつのです。初めてバイトの講習を受けて「これはまずいだろう」と危機感を覚えました。
確かに通勤途中の交通安全や、個人情報に関する研修も大事です。でも一番大事なのは「何の仕事をするか」です。
研修で実際の仕事の説明をするだけでもバイトさんたちの不安はへるんじゃないかなと思った次第。
仕事は楽しかったけど、上の人はやっぱり世間の常識から「ずれてる」と思わずにはいられなかったです。

とはいっても、いろんな人とお話しをして、古い同僚たちも再開したり
仕事に集中できて本当に楽しい約二週間の仕事でした。
声を掛けてくれた元同僚には本当に感謝しています。
落ち着いたら一緒に新年会する予定です♪

最後の最後にびっくりしたこと



私と同年齢の方から「たくさん教えていただきありがとうございました」と
丁寧に私の大好きな紅茶をいただきました。
私は何も用意せずで恐縮・・・。
でも誰かのお役にはたてたのかな。「ありがとうございました」という言葉だけでも嬉しかったです。
また次の年末年始にも働いちゃおうかな(笑)

やってみなくちゃわからない

ずいぶん前、社会人になってすぐぐらいでしょうか?
うちの母から「歳をとるとやりたいことができなくなるから、
今のうちになんでもチャレンジしなさい」と
言われたことがあります。
言われる前から突発日帰り旅行とか、映画館によく足を運んでは
同じ映画を何度もみたり、読書会に参加したり、といろいろやってましたが
「年取ったらやりたいことってできなくなるのかなぁ」と母をみてぼんやり思っていました。

で、現在私もその当時の母の年齢に近づいてきたわけですが、
相変わらず「これ面白そう」と思ったものは見に行くききにいく。
やりたいことは何でも好き勝手やってます^^;
明後日には「トークライブ」なんて新しいことにチャレンジするし。

時代の流れや考え方の変化もあるかもしれませんが、今の私の結論は
「やりたいことはいくつになってもチャレンジできる」
「もう年が、とためらっても、ちょっとでもやってみる」
です。

仕事もそう。「これって苦手な業務かも」と思っても、やる。まずはやってみる。
「できないわからない」といってまわって、私が退職するまで責任のある仕事は
一つもやらなかったというつわものがおりましたが、逃げてまわっては
自分の成長につながらいし、なにより「できないわからない」は
「仕事ができません」としっかりアピールしてるのと一緒です。
まずはやってみる。それでがんばってどうしても苦手だというなら
何か得意な業務にうつればいいし、だれかに補佐してもらいながら
仕事をこなすという方法もあります。
とにかく「始めてみなくちゃわからない」
不安がないといえばウソになりますが、やらなきゃ自分の人生開けないかもしれないじゃないですか。
何が起こるかわからない。
ですから、この先もやりたいと思ったことはチャレンジします。
明後日のトークライブ、そして
新しい仕事にチャレンジするかも、、、しれません^^;

情報は足でさがせ

タイトルが、古い刑事ドラマのセリフのようですが
今でも私がやっていることです。
最近はグーグルという検索機能が大変有能で、
ちょっとした調べ物ならグーグルで間に合います。
でも!!
地方の歴史や地元の歴史、小さな遺跡のことを調べようなんて思ったら
インターネットでは全くといっていいほど出てきません。
新刊の情報が知りたくてもネットの本屋だと実際に触ってみる、
目次を見るということが簡単にはできません。

そこで向かうのは地元の図書館と本屋です。
地元の図書館には古い歴史本が大量にそろっています
中には絶版になった本、自費出版の本、巨大な図書館だと自治体の発行した
発掘調査報告書という面白い資料まで入ってます。
自分で調べてわからなければカウンターに座っているスタッフ、
それも司書の資格を持った方を出していただき、
自分の調べ物について、的確な資料を提供してもらいます。
こうすることで、自分の納得いく答えがでるし、調べていく中から、話をきく中から、
また新たな情報や疑問がわいて出てきて、さらに知りたいことが増えます。

本屋ですと、新刊コーナーだけでなく、地元の出版物コーナーやあまり知らない分野の本棚にも目を通します。
意外な本棚から自分のさがしているヒントが見つかったりするものです。
ちなみに私、一度本屋に入ると半日は出てこないです。

世の中すっかり便利になって「図書館いらないんじゃない?」って
言われたこともありますが、でも本当に大切なのはネットの世界ではなく
自分で歩いた外の世界に知りたいことがたくさん隠れていると思うのです。

ネットにたよらず、自分で考えて自分の手と足を使って調べ物をする。何かをみてまわる。
なかなか楽しいですよ。健康にもいいし、老化予防になるかも!?


何故そこに建てられたのか

新年あけましておめでとうございます。
年末年始は仕事の追いこみで、非常に疲れましたが
1/2に休みが取れて、近所の土地神様にお参りをしました。



この神社小さいですが、古くから地元の人に大切にされ、昭和40年代までは
お神楽の神事も行われていたそうです。
最近は宅地化が進み、巨木や茂みが防犯上問題になり、残念ながら大きな木々は伐採されてしまいましたが
氏子さんたちがきちんと清掃整備され、今でも大切にされている立派な神社です。

ところで、皆さまは「この神社(寺、建物)はなんでここに建てられたのだろう」って考えたことありますか?
最近は土地の区画整理や災害などで、移転する寺社も少なくありませんが
神様や仏様がその場所に建てられるのには必ず理由があります。
たとえば、今回初もうでにいった神社、ここにはかなり古い時代から人が住んでいました。
近年の遺跡調査で、この神社一帯から貝塚や人の集落跡が発見されています。
そしてこの神社の隣には公園があるのですが、なんと



横穴式石室のある古墳が見つかっているのです。
地元の資料を調べてみると、一時期生活の気配がなく、墓域の時代もあったようですが
江戸時代になると、近辺の村から人がうつりすみ、同時に分祀された神社が
この場所に建てられます。それが今回の神社となるのです

全国にはたくさんの神社、有名なものから道端の祠のようなものまで、様々です。
建立の時代がわからない神社が多いとは思いますが、この季節
初もうでに行った際には、神社仏閣の「由来」について少しみてみると楽しいですよ。
なぜそこに建てられたか、誰がまつられているか、どんなエピソードがあったのか
ほんの少しでも「なぜ?」と疑問を持てば、そこから世界が広がること間違いなしです。

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まおれん成長アルバム2003

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    とこはるの家にやってきたまおとれん。 家に迎えた瞬間から2003年12月までの写真記録です。

まおれん成長アルバム2004上半期


  • ちょっぴり大きくなったまおれんの写真集。 初めての寒い冬を体験しました

まおれん成長アルバム2004 下半期

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    一歳の誕生日をむかえたまおれん すっかり大人の顔になりました。
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