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2016年12月

「揺れた」2016年

まもなく2016年が終了です。
私の、今年の漢字を選ぶなら「揺」しかありません。



三月に二人で久しぶりに帰省した熊本。
新幹線やくまモン効果でたくさんの観光客でにぎわっていた熊本市内熊本城。
いい町になったなと思っていたのに、その約二週間後
震度7の地震が熊本を襲いました。しかも二度。




10月に帰省したときは、こんなことになっていました。
石垣も櫓もくずれ「難攻不落」いわれた名城が、こんな姿になるなんて思ってもいませんでした。
私はここの石垣の前で呆然と立ち尽くして、人通りがあるにもかかわらず、涙が出そうになっていました。
実家の両親ががんばって家の片づけやら、震源地近くのボランティアにいっているというのに
「私はこれからどうしよう」「この先どうしよう」と心が揺れていました。
この直前、6年間勤務を続けていた会社で、勤務時間の変更からゴタゴタがはじまり
「会社をやめるか、無理な勤務体制で仕事を続けるか」という選択を迫られていました。
多分、このころの心が一番どん底だったかもしれません。



日課にしていた早朝の散歩も、集中できず楽しめず
西の空に沈んでいく明け方の月をただぼんやり眺めて
「どうしようどうしよう」と何も答えのでないことばかり一人で悩んでいました。

そんなとき、声をかけてくれたのが、長年の友人たち。
みんな私の話を黙ってきいてくれました。たくさんのアドバイスももらいました。
私は「揺れる心」から決別することにしました。

9月ですぱっと仕事をやめて
10月に実家に帰り、せっせと片付けを手伝い、親の話をきき
「自分の心に正直にやりたいことをやろう」と決断しました。
その結果、本当にたくさんの方から声をかけていただきました。

少しずつですが、来年の目標、ビジョンが見えてきました。
熊本地震、まだ小さな余震が続いています。もうこれ以上揺れないでほしい。
私も心をゆらゆら揺らすのはもうやめます。
来年は酉年ですから「羽ばたいて飛ぶぞ」というくらいの勢いで2017年、駆け抜けていきたいです。

支えてくれた家族、友人、本当にありがとう。
心から感謝です。
この感謝を忘れず、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまよいお年をお迎えください。

人に教える仕事

昨日の仕事帰り、知り合いに会いまして話をしてましたら、こう言われました。

「人に教える仕事むいてるんじゃない? そういう方向で仕事探してみたらいいのに」

予想だにしていなかった言葉が出てきたのでびっくりしたと同時に硬直しました。
私の中で「人に教える」「教育」という分野はずっとむいていないと思っていたので。

私の両親は二人も「児童教育」「学校教育」の現場で活躍していました。
両親の兄弟や、父方の祖父も教育者という一族でした。
学校の楽しい話題もいろいろききましたが、教育現場の大変さを間近でみていたので
子供心に「私は教員にはむいてないし、なるのは絶対に無理」と思い
周りが「絶対にとれ」といった教員免許だけは頑なに拒みました。

それでも専門図書館から公共図書館にうつり、教育委員会の所属になったとき
「なんだかんだで教育に携わる仕事になったなぁ」と思ったのです。
とはいっても教壇に立つわけでもなく、担任を持つこともなく、難しい親と接するいう
ことはなかったので「教育でも生涯教育の現場ならやっていける」と楽しく仕事をしました。

初めて「人に教える」を実感したのは、派遣で努めた大学図書館と元会社です。
大学では学生に図書館の使い方を教えるということも多少はしましたが、メインは
「新しく入ってくるメンバーに仕事を教える」でした。あまり雰囲気のいい現場ではなく
どんどん人が辞め、入ってわずか半年で私が古株というくらい人が入れ替わるところでした。
次々に新しい同僚が入ってきます。そのたびに教えて実践教えて実践を繰り返し
「教えるって難しい」と思ったのと、司書の仕事をほとんどできなかった悔しさから
二年の契約で仕事を終わらせました。
元会社では、若い人や短期のアルバイトさんたちに仕事を教える役割でした。
何の知識もない、人たちに即戦力になってもらうために、どう教えるか、
必死に考えて動き回りました。「わからないことはすぐきくこと」「メモをとること」を
繰り返しいい続けました。
その経験があったからなのか、今のバイト先では仕事をしながら、学生さんたちに教えてまわり
私もバイトのはずなのに「俺がいないときはよろしく~」と担当社員に言われることに^^;;
私がこんな大きな支店でただのバイトなのに教えていいんだろうかとおそるおそる
困ってる人に声をかけては仕事を教えたり、次の仕事の指示を出しています。
社員から信頼されているという安心感もあるのでしょうが「教えるって楽しいな」と
なんとなく思い始めていました。
その矢先の「人に教える仕事むいてるんじゃない?」でしたから、本当にびっくりしたのです。
この人は私の心を読んでるんじゃないかって。

今の短期のアルバイトが終わったら、また仕事探しを再開します。
もちろん図書館博物館をメインにさがす予定ですが
「人に何かを教える」いう事業所があれば、やってみるのもありなのかな? と
漠然と考えています。
私が教えられることはほんの一部でしかないと思いますが、今までの経験とため込んだ知識を
役立てられるなら、自分にもプラスになることは間違いないでしょう。

自分よりも、周りのほうが冷静に「私」という人間をみてアドバイスをしてくれる。
いろんな人たちの話に耳をかたむけて、自分の向かう方向性を決めていくのも
いいのかなと思っています。

デジタルとアナログは共存できるか その2

昨日、雑誌の売り上げが書籍を下回る見通しになったと報道されました。
出版業界では「雑高書低」と言われ、書籍より雑誌の売り上げが高いのがこれまでの常識でした。
出版業界そのものの売り上げが落ちる一方ですが
雑誌の売り上げが書籍を下回るというのは実に41年ぶりのことで
雑誌に頼ってきた出版、書店にとっては大きなショックだと思われます。

雑誌の売り上げが急激に落ち込んだのは、インターネットの普及
電子書籍のサービスが主な原因だと考えています。
先日「デジタルとアナログは共存できるか」というタイトルで
書籍の売り上げに危機感を持っていることを書きましたが
考えていたことが少しずつ現実になっている気がします。

実はあの記事を書いた後、ITエンジニアの小川昌紀さんにお話しをうかがう機会がありました。
「デジタルとアナログは共存できるか」と「もし紙が使えないとしたら、今の技術で最適な記録媒体は何か」を
おききました。

小川さんの結論はこうです
「急激に紙がなくなることはない」でした。
デジタルは電源がなければ動かないから、情報を見ることができない。
アナログは電源がなくても、自分でみたい情報を見ることができます。
つまり、未来永劫デジタルを見続けられるかという保証がないわけです。

さらに紙以外の記録媒体で石英ガラスにレーザーで情報を記録するいう話も教えていただきました。
大手電機メーカーが研究開発しているそうで1000年はもつというお話しでした。

デジタル業界のど真ん中にいらっしゃる方にお話しをきけたのは
とても貴重でよい経験になりました。
ITのプロが「紙がなくなることはない」とおっしゃるのですから、
紙の本や雑誌がこの世からなくなることはまずないといっていいでしょう。

とはいっても、報道の通り書籍の売り上げが減少傾向にあるのは事実です。
私の好きな紙の本がなくならないように、私には何ができるのか模索してみたいと思います。

「わからない」は恥ずかしいことではない

毎年この時期によく感じるのは
「わからない」ということをすぐきく人、ほったらかしにしてしまう人。
この二つに分類できるな、と。

今まで数々のアルバイトさんに年末年始の仕事を教えてきましたが
私が必ず口にするのは
「わからなかったらすぐにきいてね」です
最初は誰だって初心者です。初めての仕事初めてのアルバイトだったりするでしょう。
ここで「わからない」まますぎてしまったら、会社の仕事の効率を悪くします。
そしてわからないまま何もきかずにいるということは、この先の人生でも
「わからない」と思ったらそのままほったらかしにする可能性が高いということ。
特に若い学生さんには恥ずかしがらずにどんどんきいてほしい。
短期間のバイトでも知識が一つ増えるはずです。
教える立場の人間も人に指導することで仕事の復習や教育のスキルをアップできます。
人間の持ってる知識なんて、ほんの少ししかないのです。
世の中は「わからない」ことだらけです。
だから「きくのは恥ずかしい」なんて思わないで堂々とたくさん質問してほしい。
何かの知識を得て損をすることは絶対にないです。

会社は黒だが、仕事はすごい



一昨日から、前の会社に出戻りになりました^^;
といっても、かつて一緒に働いていた同僚からの誘いで
この地域の拠点となる大きな支店での短期勤務です。
建物を外からみて「大きいな」とは思ってましたが、中身もすごい。
仕事量も膨大、働く人の数も桁が違う。何もかも圧倒されています。
詳しくはお話しできませんが、仕事面白いです。
片っ端からガンガン片付けてます。
前の小さな支店で、いじめだのパワハラだのさんざんみましたが
ここでは無駄口たたいてる余裕ないです。みんな必死です。
支店によって、雰囲気が違うわーと感じてます。

そしてこのタイミングで「ブラック企業大賞」が決まりました。
以前にもブログでノミネートされたことを書きましたが、
このたび、特別賞とウェブ投票賞、二つ受賞となりました・・・。
大賞を受賞した電●よりすごいんじゃない? と個人的には思ってます。
セクハラパワハラの常態化、夏と冬の無理無理営業。
業績悪化しているというのに、上層部から感じられない危機感。
がんばって働いている人がいるのに、その気持ちを微塵もくみとってくれませんから
一度、経営陣を全部入れ替えてほしいと思ってます。

この会社が仮にも業績悪化でつぶれるようなことになったら大変です。
黒い猫の会社やかつて飛脚マークだった会社にできることもありますが
日本でたった一つしかできない「手紙を送る」という仕事は、この一社にしかできないことなのです。
ですから、ぜひとも仕事しない人を片っ端から給料下げるなりクビを切るなりして
社内のホワイト化をしてほしい。
「今はメールがあるし」というけど、こんな時代だから手紙がはがきが重宝される時代です。
日本で一社しかできない大事な仕事があるんだから、がんばってほしいなー。
という思いを抱えながら年末年始、お手伝いがんばります。

情報の取捨選択

いろいろ思うことがあり、一週間ほどSNSから離れていました。
やりたいことや知りたいと思うことが山ほどあり、情報をかき集めているうちに、
心が疲れていたのかもしれません。
次から次にあふれ出てくる情報の波に飲み込まれそうになり、
「世の中にはどうでもいい情報のほうが多すぎる」といらだった私はSNSをログアウトしました。

以前から「SNS疲れ」という言葉は知っていましたが
自分も知らず知らずのうちに疲れていたんだなと思い知りました。
離れていた一週間の間、必要のない情報は入らず、快適ではありましたが
本当に大切な情報を逃していることは間違いありません。
事実、久しぶりにログインした二時間ほど前に図書館の求人情報が流れていたので^^;;
図書館と博物館の情報だけは逃したくありません。

「断捨離」という言葉をききますが
情報も取捨選択というか「断捨離」をしなくてはと思いました。
毎日いろんなメディア、ネットからあらゆる情報が流れてきますが
冷静に考えるとその8割、9割は必要のないものです。
SNSで流れてくる情報とどうつきあうか。

・さまざまな公式アカウントは「必要ない」と思ったら即フォローをはずす
・自分の発言に批判や文句を投げられても相手にしない
・いらない情報まで受け止めない。軽く流す
・どうでも流せないときはミュートやブロックをする。

というところでしょうか。
このデジタルな時代にインターネットの情報、SNSでの情報は必要不可欠ですが
必要最低限にしたいと思っています。
SNSも駄目だと思ったらやめればいい。
そして自分から情報を求めて集めればいいんですから。

デジタルとアナログは共存できるか



近年、PCや携帯電話、さらにタブレット端末の普及で、
世界中の情報を収集できるのが簡単になってきました。
特にスマートフォンやタブレット端末は持ち運びに便利なので
電車やカフェなどで、端末操作をしている姿を頻繁に見ます。

その一方で、書籍の販売部数は減少の一途をたどり、
雑誌は創刊部数より休刊廃刊部数を上回っています。
今年2月には出版取次の大洋社が自主廃業し、
それにともなう小規模書店の倒産、廃業が相次ぎました。

このまま紙の本や雑誌は衰退していくのだろうか。
書店の未来はどうなるのだろうか。
たくさんの本を扱ってきた私には気がかりでなりません。
いくつかの書店はカフェを併設したり、
雑貨屋と一体化した本屋を作ったりと生き残りを模索していますが、
現状は厳しいものがあります。

少しずつではありますが「電子書籍」が増えてきました。
が、これはスマホやタブレット端末を持っている人だけができることです。
こうした機器をもっていない人たちのためにも、「紙の本」は必要です。

まだまだ答えの出ない問題ですが
書店の未来や図書館の行く末を考えた時
デジタル化の急速な発展には少なからず危機感を覚えます。

私はインターネットの世界も大好きですが
本をめくる紙の音、紙の質感を楽しむのも「読書」のうちだと考えています。
ですから、極端なデジタル化が進まないようにと祈るばかりです。

人を変えるより自分が変わった方がいい

先日、電車の中でぼんやりしてましたら、
仕事帰りの男性と女性が話をしていました。
仕事より、社内の人間関係の問題を悩んでいるようでした。
「どこの会社にいても人間関係は大変だな」と思った瞬間、男性のほうが

「人を変えようと思っても疲れるから、自分が変わったほうが早いよね」と

ぼんやりした頭が一気に目覚めました。
その男性の詳しいことはわかりませんが、部下か同僚で合わない人がいるのでしょう。
きっと相手を指導をしても耳をかさないか、やる気がない人なのかもしれません。
でも、自分は仕事で成長したい。
だから「自分が変わったほうが早い」との結論に至ったのかもしれません。

今までいろんな人と仕事をしてきましたが、「1」といえば「5」成長する人がいます。
物覚えが遅くてもこつこつ真面目にやって「1」といえば「3」まで到達する人もいます。
でも中には「1」といったら「マイナス」になる人もいました。
マイナスどころか、こちらを巻き込んで仕事をめちゃくちゃにしてしまう人まで^^;;
そんなとき、私は「この人に何かを教えたり指示を出すのをやめよう」と何度も思ったものです。

男性の会話をきいて思いました。
「私もどんどん変わろう」と。
やる気のない人はほっておけばいい。私が前に進んでいけばいいだけの話。
不器用な私は試行錯誤し、のたうちまわるのでしょうが、
五年後十年後、毎日楽しく笑って過ごせるように、少しずつ考えをいい方向に変えていきたいです。

言葉のうつりかわり

ここ、最近「ほぼほぼ」という言葉をよく耳にするようになりました。
私は「ほぼ」でいいんじゃないの? なんで繰り返すようになったの? と
不思議で仕方なかったのですが、なんとこの言葉、
三省堂主催の「今年の新語」第一位に選ばれました。
言葉を繰り返すのは「まあまあ」「ただただ」とよくあることですが
調べてみると「ほぼほぼ」も昔からあった言葉だったんです。
この「ほぼほぼ」が『現代用語の基礎知識2011』に掲載させたことにより
急激に使われるようになったそうです。
今は比較的若い人が使っているような気がしますが、これが10年後20年後には
どうなっているのか、楽しみなような不安なような不思議な気持ちです。

今までいろんな人と会話をして、テレビをみて、本を読んで
たくさんの言葉と接してきましたが、「言葉とは生き物である」ということ
時代時代で変化して、その時代にあった言葉が新しく生まれ、不要なものは消えていく。
「バス停」も昔は「停留所」だったし、クレヨンのオレンジ色は「だいだい色」と書かれていた。
他にも例をあげたらきりがないでしょうが、言葉のうつりかわりを調べていくと実に面白いものです。

ひょっとしたら数十年後、私が書いたブログも「昔の言葉」「意味のわからない言葉」が
出てくるかもしれませんね^^;

仕事は忙しいほど楽しい

今日のタイトル、繁忙期になると友人が言う言葉です。
「仕事は忙しいほど燃える、楽しい」と、いつもわくわくしています。
彼女の考えはすごいです。
「仕事はゲーム。時間内にこれとこれを終ることができるか考える」
「今日のミッションは、AとBを完了させること。遂行できなければ残業という罰ゲーム」
常に前向き。そして仕事の組み立て方が速い。
見ててきいてて頼もしいです。ポジティブパワーをたくさんもらいます。

私も今までやってきた仕事は大好きでした。
忙しくなればなるほど燃えてたけど、繁忙期が終わるころには
燃え尽きて灰になることがしばしば。
片っ端から仕事を片付けているんだけど、周りのネガティブシンキングに巻き込まれて自分まで
考えがネガティブになって仕事が終わらない。
と、どうにもうまくいきませんでした^^;
きっと、周りに振り回されて疲れてしまうんだろうな、と思います。
忙しくても自分は自分らしく感情的にならずに仕事ができるようになりたいものです。

実は今日、とある場所で一日お手伝いをしてきました。
これが年末で忙しいのなんの。
でもみんな必死。無駄口もなく、必死で仕事をさばいていく。
初めてでまわりに迷惑をかけただろうけど、私は忙しい中仕事を片付けていってて楽しかった。燃えた。
私も毎日「仕事は忙しいほど楽しい」といえるものをみつけたいです。

千葉市の中世遺跡について

本日もせっせと、市民講座にいってきました。

講座は「千葉市の中世遺跡について」です
千葉市の遺跡というと、有名な加曾利貝塚はじめ縄文時代を思いつくのですが
鎌倉、室町、戦国の遺跡もわずかですがあるようです。
千葉市で遺跡は1300をこえるそうですが、中世遺跡は97か所。
城跡等にいたっては56か所。うん、確かに少ない。
でもなかなかおもしろそうなものが出てきてます。
発掘をしていると、当時使っていた壺や皿の日用品が出てくるのですが、
焼きものについては、そのほとんどが、美濃焼、常滑焼。
今の愛知県で生産されたものが、どういうルートでか千葉で大いに使われているのです。
十二世紀十三世紀ごろですから、鎌倉幕府に集まった陶器類が
千葉氏の本拠地である千葉にやってきたのかなー、と考えてしまいました。

もうひとつ面白かったのは、城郭の変遷です。
中世の最初のころ、城はいざというときの砦。普段は館に住んでいて、
わりとのんびりとした生活を送っていたのではないかと。
それが時代をさかのぼるにつれ、城と館、住居が一体化し、城の形態も堀が深くなり
曲輪が増え、物々しい城塞と化していきます。また城のまわりには、町が整備され
小さいながらも城下町の基礎ができあがっていきます。
この中世の城というのが、千葉市内には三つ有名なものがあるのですが、なんと二か所は
うちのご近所です。城跡があるのは知っていたけど、そんな有名だったのかとびっくり。
もう一度見なければいけませんっ!!

今後の発掘次第によっては、中世遺跡がまだ増えるだろろうとのことでしたので
結果を待ちたいと思います。
私もそれまでに探検です!!

1/9、トークライブにチャレンジします

来年のことを言うと「鬼が笑う」といいますが
次の年まで一か月きってるので、見逃してくれると思いつつお知らせ。

仕事をやめてフリー(無職ともいう)になったので
やれることはやるぞ、という意気込みだけで
登壇させていただきます。

ここ数年早起き賊の会からお世話になっていた「トークライブ」
とうとう参加者ではなく話す側にまわります。
タイトルは「歩く図書館司書!! とこはる(本当は本名)の『考える散歩』のすすめ」
↓をクリックするとページに飛びます

https://www.facebook.com/events/370981793236287/
参加者からの質問に対して答えていく形式なので
何を話すかは当日のお楽しみ。
でもできれば、自分の仕事の経験や「考える」ということについて
お話しができればいいなと思っています。

このとこはるの話しをきいてみたい。とこはるとは何者なのか? を知りたい方は
なにとぞご参加検討くださいますようお願いいたします。

柳家ろべえ 葛飾落語会のお知らせ

最近気になる柳家ろべえさん、来年の2/12に葛飾で落語会を開催されるそうです。
主催者様から許可を得て画像をお借りいたしました。





また、この落語会でろべえさん(小八師匠)の真打昇進披露興行のチケット予約と販売も行われるそうです。

私の家からちょっと遠いですが、休日ですし、間も無く真打昇進される期待の人ですので、京成電鉄乗り継いで葛飾まで行く予定です。
以上、柳家ろべえさん勝手に応援隊からのお知らせでした。

千葉街道を行く

午前中の用事を終わらせて、
午後は家人と津田沼まで愛車MINIを走らせました。
目的はおいしいパンと魚を買うためなのですが、
実は津田沼にいくまでの道が、結構好きなのです。

今は国道14号、昔は千葉街道といいました。
実は中央区登戸から津田沼に到着するまでに、こんな光景が道路わきにみえます。


こんもりした森のように見えますが、実はこれ崖です。
この崖が稲毛や検見川、津田沼方面にまで見ることができます。
今は大きな道や港ができてしまいましたが、かつてはこの崖が千葉の海岸線でした。
しかも海に浸食されてできる海食崖(かいしょくがい)です。
こんな急な崖が町中で見られるってなかなかないので、興味津津。

まだきちんと見たことはないのですが、この海食崖の上
稲毛浅間神社、検見川神社、愛新覚羅薄傑の仮寓など、大きな史跡がたくさんあります。
崖の上の大地を散策するのも面白そうですね。わくわく♪

津田沼に入ると千葉街道はいかにも昔の街道の雰囲気を残した民家や商家が
転々と存在しています。古いけど立派な門構えだったり、間口の狭いお店らしき建物もあります。
京成谷津駅の手前から津田沼駅方面に曲がると、急な上り坂。
やはり海岸線だったのでしょう。干潟も近いし、なにより「谷津」いう名前が谷間のヘリであることを
物語っています。

今日は車できてしまいましたが、このあたりは歩いていくと、小さな神社や石碑をたくさん見つけられそうです。

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ちょうど千葉みなとの千葉ポートタワーでは、
クリスマスイルミネーションが見られるようです。



昼間のすっとしたタワーも素敵ですが、夜はとてもきれいなんだそうです。
お近くの方はぜひお立ち寄りください。

柳家ろべえの稽古部屋 12/9



先日はじめてきいた柳家ろべえさんの落語、
この日もきいてきました。
実は木戸銭500円。
こんなに安くて大丈夫なの!? と心配になりますが、
お財布にはとてもありがたい料金です^^;

前回、短いおはなしが三つでしたので、
今回も同じような感じで進むのかなと思ってましたら、
ききごたえのある長い話がふたつ!

最初は「五人廻し」
吉原のお話しで、花魁をまっている男の人たちが
「喜瀬川がいつくるんだ!!」と客引きの男性にクレームをつけるお話し。
いろんなタイプの男性が次々とクレームをつけるのですが、
三人目めの男性(?)が妙に色っぽい。
ろべえさんのしぐさがまた、扇子の間からちらっと眼をうごかしたり、着物で顔を隠したり
歌舞伎の女形のような動き。
前回お話しをきいたときは「気の短い江戸っ子させたらうまいな」と思ってましたが
女の人を演じるのもうまいかも、と思いました。
いつかろべえさんで「幾代餅」「転宅」あたりをきいてみたいです


「文七元結」
左官なのに、ばくちで負け続け借金のふくらむだめ親父。
とうとう娘がすすんで吉原に身売りをしようかということになり
おかみさんが「50両貸すから、来年の大みそかまで返せ。さもないと娘を店にだすぞ」と
いうところから、話しが思わぬ方向に動き出す人情話。
流れとしてはとてもいいお話しなのですが、
ろべえさんには、もっともっときかせて泣かせるくらいの表現力がほしかったなー、と。
比べちゃいけないのですが、さん喬師匠ならこの手の人情話。涙がこぼれるくらいに
うまい表現をするのではないかなと思ってしまいました。
もちろんろべえさんのお話もうまいんですけど、人情話できく人を引き込む力はこれからなのかなーと思います。

前回が短い話でまとめて、今回は長い話でみせるきかせる。
予想以上に幅の広い役柄をこなせるのねと思った今回の落語会でした。
次は1/6だそうです。
行けたら行きたいっ。500円だし(料金大事)

若い人の成長を見る

元会社の後輩とランチに行きました。
私が退職をしたとき、彼女は長期の病気で挨拶もできず、ずっとその後が気になっていたのですが
先月から復帰したと聞き、本当にほっとしました。




デミグラスソースのパスタ、アイガモのローストのせ。
おいしかったです~!!
ランチはもちろんおいしくいただいたのですが、
普段は真面目に黙々と働いていた彼女が、いろんなことをたくさん話してくれたことが
私にはとてもうれしかったのです。

今の職場の現状のこと、
私やベテランたちが抜けた後に復帰したら、仕事がめちゃくちゃで困っていること。
自分なりに考えて、今度は若い自分が新人を教えてみたいといったこと。

彼女は私が思っていた以上に芯が強くて、ぶれがない。
しかも今では自分で「考えて」こうしたいという思いがある。
そのことがとても嬉しくて嬉しくて「成長したなあ」と涙が出そうでした。

私の年齢の半分しかない若いお嬢さんです。
彼女の一生懸命な姿をみて、頼もしいというか、自分の子供のように思えて
ずっと応援していきたいと思うしだいです。

私も試行錯誤しながら、彼女にいろんなことを教えて一緒に仕事をしてきたけど、
この私も成長させてもらった気持ちで感謝でいっぱいです。

若い人の成長を手助けすることは、自分の成長にもつながるんだと実感しました。
教え育てるという仕事も楽しいかもしれないですね。

今日は本当に楽しい時間を過ごすことができました。
これからも、彼女のこれからの活躍を見守っていきたいと思います。



そうそう、リニューアル後の千葉駅をみてきました。
お店は駅ナカのみですが、建物をみるに、まだまだ上部にお店ができそうです。
エキナカの変化も楽しみだな~♪

夢は待っていても来ない



ご存じのように私「求職中」の身です。
連日連日、ハローワークに通っては仕事をさがしたり、セミナーに積極的に参加しています。
家人は「あわてて探さなくてもいいよ」とはいってくれるのですが、
家人の給料に甘えるわけにはいかないし
将来に何があるかわからないからきちんと蓄えもほしいし、
何より、自分にはやりたいことがたくさんあります。
だから、情報に目を光らせて誰よりも早くいい仕事を見つけたいと思っています。
まず今探している職種は
・図書館
・博物館
なのですが
・新しい「何か」
にもチャレンジしたい気持ちです。

そんななか、いろいろ動いているうちに気がついたのですが
「あれやりたいな」「こうなったらいいな」というのは簡単。
でも何もしなかったら、夢や希望ってかなわない。
「やりたいことは自分の足で探しだすものだ」
と、こんな歳になってはたと思いました。

私が無意識のうちに頻繁に散歩をするのもそうなんだろうな、と。
「知りたいことを自分の足で探す」
これにもつながってるかと思います。

「有言不実行」は絶対にしたくない。
自分のやりたい仕事や夢をかなえるためにも
「自分の足で探す」
これを実践し続けます。

速く、思いっきり助走をつけて、飛び立ちたい

(上記の写真は飛行機内から撮影した富士山上空。遠くに雪をかぶってない山頂が見えます。)


私の好きな噺家さん

まだまだ落語をききはじめて日が浅いですが、
時間のあるときは寄席に行ったり、独演会に足を運んでいろんな落語をきいています。
落語協会がメインできいていますが、好きな噺家さんがたくさんできました。



一番好きなのは柳亭小燕枝師匠です。
柔和な表情とおだやかな声から出てくるお話しの数々が楽しくてたまりません。
寄席ではものたりなくて二か月に一度の独演会に行くようになりました。
私と同じく猫を飼ってらっしゃるというのも親近感の一つです。

若いかたでは春風亭一之輔師匠です。真打ちに昇進してまだ数年、30代ですが
あちこちにひっぱりだこ。NHKの落語番組にもよく出てらっしゃいます。
初めて末広亭できいたときの主任(トリ)をつとめてらっしゃいました。
そのときの「粗忽の釘」が大爆笑もので「落語ってこんなにこんなに笑うんだ」って
我を忘れて大笑いしていました。
かと思うと「鼠穴」のように、話にひきこんでひきこんで泣かせる人情噺にもぐっときます。
先の楽しみな噺家さんです。

一之輔師匠のお師匠春風亭一朝師匠も好きです。
テンポよく歯切れのいい声、落語のなかで時折きける歌声がとてもいいのです。
まだ一朝師匠のお話はたくさんきいたことがないので、たっぷりきける機会はないかとうかがってます。

他にもあげればきりがありませんが、柳家小三治師匠、柳家さん喬師匠、柳家権太楼師匠、柳亭市馬師匠、
三遊亭金馬師匠が寄席に出るとなると積極的に足を運びます。

最近真打ち前の二つ目さんにも注目してみてまして、三遊亭粋歌(女性の噺家)さん、鈴々舎馬るこさん、柳家ろべえさんが将来どうなるのかなーと楽しみにしています。

世の中にはまだたくさんの噺家さんがいらっしゃるので、
古典から新作まで、どんどんきいて楽しみの幅を広げてみたいと思っています。

ブラック企業大賞ノミネートを考える

昨日は今年の流行語の発表があった一方で
「ブラック企業大賞」10社が発表されたのはご存じでしょうか?


実はこの中の一社に9月まで働いていました。
選定理由を読んで「納得」と「複雑」と両方の気持ちが混ざりました。
私の元勤務先、とっても大事な仕事をしています。
仕事自体は面白くてやりがいがありました。仕事の内容自体は。
一緒に仕事をしている人たちに問題がありました。
一部署しか知らないので「そんなことない」とおっしゃる同業者の方もいるかもしれませんが、
私が6年仕事をして感じたことを箇条書きにまとめます。

・旧役所なので役所体質が抜け切れず、赤字を抱えているにもかかわらず危機感がまったくない。
・仕事をする人、仕事をしない人の差が非常に大きい。
・何かしらのミスがあったとき「どう改善するか」ではなく、「誰が犯人か」で話を終わらせる。
・セクハラ、パワハラが常態化。上から改善指導が入っても変わるどころか上司いじめがはじまる。
・モチベーションが常に低い。

他にもあんなことやこんなことや枚挙にいとまがないのですが、大まかにいうとこんな感じ
ノミネートされた理由に「パワハラ」という言葉がしきりに出てきていますが本当に多いです。
私が退職を決めた理由にも少しパワハラが入っています。
仕事を引っ張っていたベテラン勢が見切りをつけて次々に退職していく中
「この職場から学ぶものはもう何もない」と感じた時、やめることを決意しました。

もしも、もしも同業種の仕事を探すなら、もどっていいと思うときもあります。
仕事はすきでしたから、できることなら小さな支店でなく、
もっと大きな支店で仕事のことだけ集中して考えられるところに行きたいです。

ノミネートには納得ですが、今もあの会社には友人が何人も働いています。
ブラック企業の大賞なんて受賞してほしくないし、会社がなくなってもらっても大いに困ります。
ですから、みんなが気持ちよく働けるように風通しがよくなることを願ってこの記事を書きました。
一人ひとりの意識改革が進んで、少しでもいい方向に向かいますように。

れんのこと

ブログをお休みしていた三年半のあいだにいろいろなことがありました。
私にも家人にもいろんな変化があり、そして大好きな猫たちにも。
今日12/1は三年前に愛猫「れん」がなくなった日です。


七歳をすぎたあたりでしょうか。それまで病院知らずだったれん、
腎臓のクレアチニンの数値が引っ掛かりまして、再検査で腎不全が発覚しました。
腎不全用の療方食に切り替えまして、約三カ月に一度の血液検査がはじまりました。
そのあいだに、腸閉塞や頻繁に起こる血尿で二度入院しました。レントゲンも何度もとりました
もっと早い時期に大きな検査をするべきだったのかもしれません。
私はずっと腎臓と泌尿器系の病気なんだなと思っていました。

2013年11月中旬、呼吸が荒くなり病院で検査、そして入院。
末期の肺がんで余命一カ月を宣告されました。
それから二週間後の12/1、0時過ぎに息を引き取りました。



過去を振り返っても仕方ないのですが、ときどき悲しくなります。
もっと細かく検査をすべきだったんだろうか、早い時期にがんの疑いをなんで考えられなかったんだろうか、と。
もっと早くきがついていたら、もっと長生きできたんじゃないか、なんて。
れんとようの二匹の暴れっぷりをしかたないなと言いつつ笑ってみてられたんじゃないかと。



れんとは10年と四か月生活をともにしました。長野で出会って一緒に引っ越しもしました。
苦しいときも悲しいときも、ずっとそばにいてくれて、
時には猫らしくあばれ、時には悟りの僧侶のように目をつぶって天を仰ぎ
時にはなぐさめてくれるかのように膝にそっと座ってくれました。
私にとっては子供というより、人生の先輩よき先生だと思っています。
何匹もの猫を見送ってきましたが、私の中では死ぬまで忘れられない子です。

今の私は一匹だけになってしまった、ようを健康で長生きさせることが大事な仕事です。
こんな私だけど、れんはどこかでそっと見守ってくれればいいな、と思います。


追記:
以前は「まおれんのなわばり」というブログで
猫たちの様子はお伝えしていましたが、こちらはこのまま更新休止いたします。

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    とこはるの家にやってきたまおとれん。 家に迎えた瞬間から2003年12月までの写真記録です。

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    一歳の誕生日をむかえたまおれん すっかり大人の顔になりました。
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